Home > 2019年01月

2019年01月18日

残り僅かとなってます

 

純度100%の鴨です。

世の中にはいろんな鴨が居ますが、本来の鴨は野生真鴨類です。

野鴨にも当然色々あって、真鴨に小鴨、尾長鴨など種類はありますが、天然物の鴨は本当の鴨味がします。

 

家鴨は肉を大きく、食べやすくするために掛け合わせしてます。

 

犬で言えば、狼犬が犬であって、例えば太ったビーグル犬などはもはや犬とは言いがたい駄犬であります。

 

犬と人間の関係性についても最近読んだ本で興味深いものがあったので、また暇な時にここに書きます。これまた刺激が強いので、

愛犬家は読まないで下さい、

という題名でいきたいと思います。

 

 

 

良い悪いの話ではなく、家鴨は美味しい、野生の鴨は臭くて美味しくない、という間違った価値観で本来の鴨の魅力や味わいを置き去りにして欲しくないのです。

 

肉好きならば、必ず旨いと思ってもらえる肉質ですし、仕立てになっております。

 

が、

よし!ボクちゃん挑戦するぞ!というような話ともまた違うので、好きな方は是非ともこの機会に。

 

 

フロマージュ・ドゥ・テット

不人気極まりないのですが、私が好きなのでメニュー入りしてます。

 

ただ、寒いのにコラーゲンブリブリってのもアレなので、パン粉をつけてカリッとトロッと揚げました。

 

 

もはや東京では絶滅したかもしれません。

消えそうな灯火を隅っこでコソコソと続けるのも私の使命かと思いまして。

 

ソースはこれまた珍しいソース・グリビッシュ、上に乗ってるのはコンセプト的にありえないトマト、もらったので仕方なく乗っけてます。

 

いやー、風邪が流行ってますね。

ウチの家族全員風邪でダウン。

犬まで調子悪くて病院送り。

 

私だけピンピンしてるのは何故だろうか。

馬鹿と煙は高いところが好きであり、馬鹿は風邪ひかないというのもあながち嘘でもないようです。

 

2019年01月17日

シャーーー!

 

ついに来ました。

 

バーターで綺麗な女子を紹介せよ、とニコニコしながら言われましたので、ヒルクライマー社長には私の行きつけの五反田SMクラブでラップグルグル巻き接待とさせて頂きます。

 

いやー、それにしても、この妖艶なフォルム、クラクラしてくる強烈なアーモンドの香り、塩の効いたフィユタージュのハラハラとした口どけ。

毎年この時期になるとソワソワしてます。

これを突きつけられたらなんでも言うこと聞いてしまうわ。

 

 

サザエさん、期待してます。

便利な世の中です。

私がずっとお付き合いさせてもらっている農家さんがオンラインショップを始めました。

 

一般の方向けですので、ある程度揃ったものが来ると思います。

 

先日も申し上げた通り、野菜のパワーが違います。

普通なら溶けてしまうような期間でもピンピンしてます。

そう、この農家さんも昨日の私の記事のキーワードである循環型農業を実践してます。

だからって下の記事を読まなくて良いですよ。

 

ご家庭で頼まなくても、例えば野菜をギフトにする、というのはステキな事だと思いますし、必ず喜んでもらえると思います。

見たことない野菜を試行錯誤して料理して食べる楽しさは格別です。

一度覗いてみてください。

 

http://sasakifarm.net/

 

http://sasakifarm.shop-pro.jp/

 

絶対に読まないでください

 

私は登山が好きです。

色々とスポーツを経験した結果、山に辿り着きました。

圧倒的な自由がそこにあるからです。

審判もいなければ、同調圧力的なルールもない。あえていうなら、生きて帰ってくることくらいでしょう。

告白しますが、私は山に行くと必ず野糞します。お客さんを接待登山した時も地蔵岳のオベリスクをバックに甲斐駒ケ岳の絶壁を見ながら豪快に行為に及びました。

先日の雪山も取り付きまでの林の中、マイナス20度の極寒の中でケツを出して行為に及びました。

こんなに開放的な気分に浸れる事はそうそうないですね。

マナー違反ですかね。

山ではウンコは持って帰る、という不文律があります。本当にそうでしょうか?なぜ山でウンコをしてはいけないのでしょうか?

これがトライアスロンのレース中に民家の軒先で事に及んだら下手したら失格ですし、バイク中ならばずっとダンシングをしなくてはなりません。

それ以前に人間として失格です。

 

 

伊沢正名、くう ねる のぐそ を読む。

 

私も含め、食べるという行為に対して、こだわりや楽しみ、そしてオーガニックや自然栽培、フードロスに至るまで、口に入れる食べ物の話はいつの時代も人々の最大の関心事でしょう。

命を奪い、殺してそれを食べることで人間は生きています。

何を食べるか、という議論は誰にとっても自分ごとであり、非常に盛んに行われますが、その排泄についても自分ごとのはずなのに論じられることは皆無、タブーとしてきました。

 

あるとすれば、

辛いものを食べた翌日の肛門はベリーホットだったぜ、とか

私の親父曰く、松田聖子はウンコしない、

みたいな感じでしょう。

 

 

 

私がお付き合いしている農家さんの多くに循環型農業という思想があり、野菜といっしょに豚の飼料を作り、豚に与え、豚の排泄物は堆肥にされて畑に戻され、また野菜を作るという食生産サイクルです。

ここに人間が関与しているのは消費だけです。

奪うばかりで何も残しません。残すとすればパックゴミか食べ残しでしょう。

土から生まれる作物を食べている人間は自然に対して何かお返ししているのでしょうか?

それこそがこの本のテーマです。

 

著者は屎尿処理施設建設の反対運動を見て疑問を持ち、トイレで用をたす事を取りやめ、それ以来全てアウトドアでの脱糞に勤しみます。

屎尿処理にも多大な資源と二酸化炭素の排出があり、わざわざそんなことしなくても、アウトドアで済ませることで全ては完結するのではないか、と。

人目を忍んで穴を掘って行為に及び、紙で拭く。

その一連の行為も慣れた頃、突き詰めて考えた時、果たしてその後私の分身はどうなるのか、野糞する事は生態系への負荷ではないか?

という疑問にぶち当たり、木の枝でマーキングし、日付を残して経過観察するという行動にでます。

数日後に分身を掘り起こし、確認すると、紙だけは分解されずに残り、分身は汚染するどころか色々な微生物や菌や動物によって完全に分解されることを知り、元々菌類の研究が本業だった為、この野糞行為と菌類研究がドッキングし、野糞とはどういうことか、ウンコは忌避すべきことなのか、というある意味でタブーな人糞研究に足を踏み入れることになります。

ウンコにに寄生する虫や菌類、微生物、ミミズ、獣やモグラなどの小動物は、さながら饗宴でも開くかのように待ってました!とばかりに代わる代わるやってきては、人間が分解しきれなかった残された栄養分を吸収し、分解し、新たな命を産んでウンコは土に還ります。

ウンコにたかるハエは腸内細菌の胞子を背中に乗せてばら撒き、そこからキノコが生え、ミミズが糞をムシャムシャと食べて団粒状の糞をすることで土が柔らかくなり、モグラはそのミミズを食べるためにトンネルを掘り空気を地中に送ります。その土からは草が生え、新しい命に生まれ変わります。

しかし、天然素材と思われていたトイレットペーパーはウンコが分解された後もそのままの形で残り続け、最終的に分解されないという結論に達し、それ以来紙を使うことも拒否し、葉っぱに切り替え、使い心地の良い葉っぱの研究という前人未到の領域にも達し、挙句は葉っぱすら使わない、ペットボトルの水のみで肛門洗浄するという画期的なインド式ウォシュレットを編み出して頂点を極めます。

一年という、人間にも大きな意味を持つサイクルは春夏秋冬という自然のサイクルに沿ったものです。著者はその春夏秋冬は物事が死んで腐って再生するサイクルでもあり、自分のウンコを観察することでそうしたダイナミズムを再確認した数少ない体験者ではないか。

いや、世界で唯一かと。

形骸化した学校教育で食物連鎖を学んでも、食べ物が血となり肉となり、最後はウンコになるという当たり前の事は建前論でスルーされます。

一年間の野糞率を算出し、いついかなる時もアウトドアに行為を求める姿は職人技とも思える秀逸さをドンドンと増し、自らを糞土師と呼び、果ては渋谷の繁華街に生える一本の大木の下で誰にも気づかれることなく、それでいて堂々と脱糞と埋設、もはや職人を超えて自然の一部と化す著者のその探究心は常識的に超えてはならないと思われる一線をついに超えます。

1番から105番までの番号を振り、掘り起こしによる形状、色や弾力、臭いの強弱と前日の食事との関連性という経過観察は度肝を抜かれるレポートです。

そして遂にその時はやってきました。

五感で観察するためには味見をせざるを得ないとの判断から一線を超えてしまいます。

分解が進んで完全に土に還ったと思われる現物と周囲の土を味覚から観察しするのです。

その描写は圧巻の一言。

テクスチャーを表現するチャートまで作り、味わい、臭い、粘度、カビの生え方、季節と気温による分解速度の関係性にまで詳細に記録していきます。

一見、常軌を逸しているとも思えなくないその観察への執念には、もはやそれが汚物かどうかという概念を超えて研究対象への純粋な洞察、抱かれる大自然のダイナミズムへの愛、そして念願の自然の一部となったことへの喜びは、多様性だのダイバーシティなどとインテリぶったモノカルチャーバカになった私達現代人を体験したことのない圧倒的な生物多様性の世界へと私達を引きずりこみます。

 

 

近代化とは都市化と同義語であり、都市化して自然を切り離し、時に横暴で暴力的な自然の脅威から離れて密集して暮らすことで人間は発展してきました。

剥き出しの自然に対して、動物としてのヒトはあまりにも無力であり、野生動物と比較しても厳冬期に山で一晩何も持たずに夜を越すことすら現代人には無理でしょう。

その意味で人間は確実に退化していると言えます。

発展の過程において摂取、消化、脱糞、分解というサイクルから脱糞と分解を切り離し、汚いものとして小学校のトイレでウンコなんてしようものならウンコマンとあだ名をつけられ、家庭では除菌除菌で体の弱い子供を大量生産しています。

 

綺麗、汚い、良い、悪い、全ての価値観は好きか嫌いかで出来ており、好きで正しいとされるものは守られ、嫌いで汚いものには蓋をして無かったことにされます。

それがなんであれ、好きなものを追い求める正義の裏にある奪われる側の苦しみは気にされない。

私は料理という表現方法で生きている人間ですが、その素材の源流部について知りたいと狩猟免許をとり、責任を持って殺し、食べることを目指しています。

しかし、そのさらに源流部、もしくは川下とも母なる海への入り口である河口ともいうべきである排泄と微生物、菌との関係性には考えが及ばず、川上を理解したつもりでいたとしても最初の一滴は雨によってもたらされ、水さえあれば繁殖する苔や菌がいる事を忘れています。

最下層の生物だと思われたものは実は私たちの生命の根源であると。

パックされた肉しか見たことがない料理人が増え続ける一方で、断末魔の叫びは蓋をされて無かったことにされ、命を奪って作られた食べ物は汚いからとゴム手袋越しに触ることしか許されず、そのくせ簡単に捨てられて燃やされます。

生きとし生けるものが必ずするウンコについて考えるとき、それは生きることと死ぬ事、地球のダイナミズムを感じるということです。

水に流すには余りにももったいない。

読了後、私は散歩中に恍惚の表情でンーンーと気持ち良さそうに脱糞する愛犬を羨望の眼差しで見てしまいますが、そのウンコを私はビニール袋で回収し、ゴミの日に捨てられて石油をかけられて燃やされます。

 

 

 

命を食べて生きることが権利であるならば、そこに義務や責任が裏にはあるはず。

そして著者は

食は権利、ウンコは責任、野糞は命の返し方

と結んでいます。

 

 

 

究極のエコロジーとは一体何か?

答えは簡単です。

人類が絶滅することです。

私やあなたが死ねば地球にとって負荷が減ります。

 

しかし、それではあまりにも寂しい。

 

自分が一体何をどうすれば自然のサイクルの一部、もっと言えばさまざまな環境問題の原因の一部ではなく、解決の一部となるにはどうすべきか、どうあるべきかを問う希代の名著です。

 

ただ、著者の研究対象である現物の経過観察を撮影した巻末の袋とじはまだ開封する勇気がありません。

こういう袋とじは後にも先にもこれだけだと思います。

希望者があればカレーでも食べながら一緒に開封し、じっくり熟読しましょう。

そうした意味でも圧倒的な稀覯本と言えます。

 

 

 

2019年01月16日

予め、お知らせしておきます。

先日、本屋で見かけたヤバイ本を2日で一気に読了しました。

 

頭を、いや尻をゲバ棒でひっぱたかれたような衝撃で放心状態です。

 

こんな本は一年に一回出会えるかどうかという圧倒的な本でした。

 

内容が内容なので、感想を述べていいものかどうか迷いましたが、私の場合は内容に対して自分が何を感じたかを出力する事で読書が終了します。

先日書いた通り、このブログはオフィシャルでもなんでもなく、私のマスターベーションの場であり、ブログについてお金を頂いているわけでもない、そしてフェイスブックのように勝手にドンブラコと流れて視界に入るものでもありません。

 

 

なので、真正面から書くことにしました。

 

しかしながら、あまりにも刺激の強い内容のため、私もかなりの覚悟が必要で、読む人にも相当な覚悟が必要です。

なので、記事をアップする前に予告します。

 

絶対に読まないでください。

 

という題名でアップしますので、開いてこの題名が出てきたら読まずにページを閉じるか、新しい記事がアップされるまでの間はブログに立ち寄らないで下さい。

食べ物屋としてありえない!

と、わけのわからないクレームが来るので、フェイスブック等でリンクをシェアするのもやめて下さい。

 

そう、食べ物屋としては致命的な本です。

しかし、私は最も重要なことではないか、と感じたので書きます。

 

巻末の紹介文だけ載せておきますね。

これを見て本当に興味があれば記事を読むなり、本を買うなりしてください。

店にも置いておきますので、必ず食後にほかのお客さんの目に触れないように読んでください。

 

旨い肉へのアプローチ

浜松で小料理屋を営む片桐さんという方が居ます。

 

その方は罠師でもあり、一般的な罠猟とは少し異なる止めをします。

 

一般的には獣道に仕掛けた罠にかかった獣はその場でさし止め(トドメ)をされて解体、もしくは内臓を抜かれて山から下ろされます。

 

しかし、この片桐さんは罠にかかった獣には、さし止めせずにガムテープで目の周りを覆って視界を奪い、大人しくさせて生け捕りし、山から下ろして自宅の解体場で止めるのです。

整った設備ですぐに血抜きを行い、肉を冷やし、解体に入ります。

完全に血抜きされた肉は全く血が滲むことなく、臭みが回ることなく、鍋用のイノシシのスライスを並べた皿には一滴の血もない完璧な仕上がりでした。

骨からはスープをとり、出し汁として使われてます。

 

 

フランス料理的思想のもとでは、暴れて興奮してアドレナリンが出ると肉質が落ちるため、知らないうちに一発で即死させる事が最上とされ

すぐに腹を割いて内臓を出し、雪を詰めて体温を下げます。

そして、ある程度の熟成期間を経て解体、精肉、料理に入ります。

罠という手法はあまり聞きません。かかった後に逃げようとして暴れる事がアドレナリン放出と考えるからでしょう。

西洋思想のハンティングの文化が先にあって、それを食べるという事は副産物な考え方だと思われます。

貴族の遊びとしてのハンティングがあり、その獲物をお抱え料理人が料理するという図式です。

今では考えられませんが、フランス料理の古典書には鶴の調理法や元の形に戻す盛り付け方まで載っています。

それが良いとか悪いとかではなく、鯨を食べる日本と、犬を食べる朝鮮半島、ウサギを食べるヨーロッパ、これは単純な食文化の違いですね。

 

 

一方で罠師の片桐さんは魚の活け締のアプローチを踏み、新鮮さと不浄とされる血液を完全に抜く手法です。

そして死後硬直が解けた瞬間から料理に入ります。

 

 

今回、ウチで仕入れた鹿児島の真鴨は網捕りで銃痕はなく綺麗で、窒息のみで放血もしていないため体内に血が入ったままであり、西洋料理店向けの鴨と言えますが、血が中に入っている為、熟成はしない方が良いでしょう。

 

フランスからの輸入品には必ず銃痕があり、当たりどころが悪ければ焼くことは出来ずミンチになる運命です。

 

 

 

サザエさん用に焼いた鴨から外した骨の端肉を食べてみましたが、悶絶するほどの旨さでした。

個体の大きさこそ、フランスには遠く及びませんが、赤身ジビエの埃っぽい独特な臭みはなく、それでいて血の味が豊富で濃厚な鴨香りが溢れています。

 

やっと最近、ジビエについて理解出来てきたような気がします。

あと4羽ほどおりますのでよろしければ是非。

今期の真鴨はこれで終わりだと思います。

 

あとは秋田からくる野ウサギでジビエシーズンが締めくくられます。

 

 

 

片桐さんの話は正月のテレビでみましたが、番組の最後に八百万の神である自然への感謝として、余さず料理して美味しく食べる事以外にない、と話されていたことを思い出します。

2019年01月14日

今日はお願いです。

ホームページに記載しておりますが、

 

今月からランチ、ディナー共に

お一人様ワンドリンクのオーダーをおねがいしております。

 

ホームページの予約のご案内

予約フォームのコース選択欄

そしてご予約の確認フォーム

確認メールにも記載しております。

 

先日、

ワンドリンクオーダーなどという事は知らなかった、遡って確認したがブログには記載がなかった。

小さく書き添えるのは見落としてしまう。

半年前、この店を使ったときには時間に遅れることに対して指摘されることはなかった。

 

とのご意見を頂きました。

 

このブログは店の公式ブログではございません。

公式のホームページに諸々の記載がありまして、そちらはまじめにコツコツとまじめに更新しております。

ブログは私の個人的な活動とか独り言、憂さ晴らしなどのマスターベーションの場でございまして

逆にホームページがあるのに、このブログのみに店のお知らせを載せていたとすれば、そっちの方が問題かと思います。

原材料の値上がりやら何やらと私たちには想像もつかない理由で食材の値段が上がっております。

簡単にコースの金額に転嫁すればいいのでしょうが、レストランという看板を掲げている以上、大人の食事の場として食前酒などのワンドリンクを頂く事としました。

料理の値段はなるべく安く、気軽に楽しんで頂ける金額をご提示し、その枠の中で東京一のパフォーマンスをやってまいりたいという思いは変わっていませんが、

この値段でお料理を提供するため、そしてその中で労働体制を法律の枠組みに収めるには色々なコストを限界まで削らなくてはなりません。

昨年の夏頃からウェブでの予約に絞りました。

ご来店の時間をご指定頂いてます。

ある人数を超えるとその時間帯での予約が受けられなくなり、少しズラして頂くことになります。

これは最小の人数で店を切り盛りしていくためにどうしてもお願いしなければならない事です。

そして指定されたご来店の時間に大幅に遅れられてしまうと、後の予約のお客様のご来店と重なり、結果的に時間通りに来てくださっている方々にご迷惑をおかけする事になります。

 

もし遅れてしまいそうな場合は、事前にお送りしている予約確認フォームからご自身で時間の変更をお願いします。

これは今まで紙で予約管理をしていた頃から、言った言わない、電話に出る出ないの水掛け論を繰り返してお互いに理解しあえなかった事からの教訓です。

 

さまざまな事が重なり合ってギリギリの状態で切り盛りしているのが個人店の現状です。

旨い料理を提供する以前に、スタッフ働きやすい環境を整えるのが私の大切な仕事でもあります。

休憩時間もキチンと取らなくてはならないし、労働時間や休暇もキッチリと守らなくてはいけません。このままでは業界的な人手不足は解消されないでしょう。

真夜中であっても関係なくかかってくる電話に出なければならない、というこの業界の仕組みは明らかにおかしく、この仕事が敬遠される一因でしょう。

ある方が遅れてしまったことによって、時間通りにお越し下さったテーブルのケアが遅れて結果的に私たちに対してクレームが来てしまうというのが現実なのです。

 

現実的な話はこれらの事だけに限りません。

 

本当はこんな事をここに書きたくはありませんでした。

 

 

私はスタッフに良い環境を整え、生産者といっしょになって楽しく料理を作って生きていきたいだけなのですが、店をやるということ、続けていくという事の意味合いを最近よく考えるのです。

一体、何のためにやっているのかと。

店に行くこと、店で料理を作る事がストレスになり始める前に、これだけは書かなければならないと思いました。

嫌なら店に来るな、と言うのは簡単です。

でも、それでは何の解決にもなりません。

時代はどんどん変わりますが、人は変わることに対して慎重です。

それでも時代に合わせてやるべき事をやらなければレストランという、ある意味でエッジの効いたカルチャーは日本からなくなり、顔の見えないのっぺらぼうなコンビニとファミレスと牛丼屋ばかりになると思います。

 

私が間違っているのかもしれません。

しかし、大切なスタッフがこの仕事や店を嫌いになってやめてしまう事だけは避けなくてはなりません。

私一人で店は出来ないのですから。

やはり、読書は危険行為だ!

そして、本屋は虎の穴のような危険極まりない場所である事を再認識致しました。

 

今日のランチはお陰様でゴッツリの直前キャンセルを頂戴いたしまして、久し振りにヒマなランチでした。

 

明日休みで仕込みもやる事もないし、キャンセルの精神的ダメージで練習する気にもならないので、久しぶりに本屋に行ってきました。

 

私が行くコーナーはほとんど一緒です。

料理書コーナーにはもう何年も行ってません。それでも料理の洋書は見るかな。

 

大体がアウトドア関連の本です。

本屋に行くことの意味合いとして大事なことは寄り道ではないでしょうか。

ネットで買うとピンポイント過ぎて寄り道しません。

 

立ち読みしたかった本のとなりに関連した本があったり、知らず知らずのうちに目に入って来る好きだった作家の新刊やら既読本の著書の新刊やらが気になり始めて足が止まります。

 

この寄り道ってのが知識、ひいては人間的な厚みというか、幅というか、奥深い知識を与えてくれるような気がします。

 

そして、読書は時に人生を変えてしまうような危険な出会いを用意している場合があります。

 

今日出会った本はまさにそういう本。

こんな本を書く人間がいるのか?

こんな事を本気でやっているヤツがいたなんて!

凄すぎる!

 

 

そんな本です。

内容は残念ながらここには書けません。

渋ってるわけではなく、料理屋のブログに掲載するにはあまりにもヤバイ本だからです。

 

この本のことをネタにお客さんと話すことすら許されないでしょう。

 

そう、下ネタです。

本気のシモの話です。

人生かけてシモ関連について実験、実践、考察するとどうなるのか。

 

本当は書きたくて書きたくて仕方ないのですが、これから賄いでカレーが待ってますので、この本のことを考えるだけで少し気分が落ち込みますのでこのへんで。

 

このヒントで分かった人はかなりの読書家ですね。

2019年01月13日

いい感じです

 

子牛のロースにフォアグラとキノコ挟み込んでパイで包みました。

 

やはり、一番はこの焼きです。

これがなかなか難しい。

 

こういうロゼにするにはちょいと勘が冴えてないとダメですね。

 

 

今日は朝から色々と余計な雑念入ってきまして、上手く焼けるか不安でしたが、バッチリでした。

 

 

 

 

« Previous | Next »