Home > 2021年09月

2021年09月09日

新作ですが

まずはドーブ・ド・ブッフ・プロヴァンサルです。

 

このやり方が基本なのかは分かりませんが,昔、ニースの隣、マントンという柑橘が有名な街の出身のオッサンに教えてもらいました。

 

どうやら南仏では煮込みに柑橘を入れるらしいです。

なんで?って聞くと、オレンジの方が葡萄より安いから。ウソだよ〜ん、でもたくさんあるから、とのこと。

へー、そりゃまた庶民的でいいもんですなぁ、爽やかですなぁ。

煮込みというのは、炒めた野菜と焼いた肉を何かしらの液体で煮込んだものです。

ワインで煮込もうが、オレンジで煮込もうが,ビールでもファンタオレンジでもレッドブルでもそれなりに仕上がります。

液体で煮るというのは、土器が出来てからずっと変わらずにある調理法ですね。

これにはワインも入ってるんですが、オレンジと喧嘩せず邪魔せず共存してまろやかです。

 

 

 

 

 

今週は真打登場、エスニックソーセージいきます。

デパ地下やってた頃からたまにだしますが、はっきり言ってあんまり売れませんでした。

しかし、熱狂的に好きなお客さんが同時に居て、リクエストが一番多い製品かもしれません。

私的には万人にウケるそれなりの商品よりも、普通の人には刺さらないけど、溺愛してくれる人が少なからずいるような商品が好きです。

諸星和巳ではなく、やっぱ赤坂晃の方が好き、なんなら光GENJIよりも男闘呼組だねって人の方が信頼できます。

しかも個人的にも数あるソーセージの中でも一番自信のあるソーセージ。

こんなソーセージは日本中探してもウチしかやってないと思います。

だってオリジナルだもん。

厳密にはイエロー、レッド、グリーンがありますが、一番キワモノっぽいグリーン行きます。

戻したビーフンとかコブミカンの葉っぱとかナンプラーとか、シャルキュトリーの型から完全にハミ出た外道ソーセージです。

外道でもいいじゃい、美味しければ。

 

エスニック好きな人は絶対ハマると思います。

私はハマってます。

2021年09月04日

新刊

 

 

私は普段さまざまな呼び方をされてますが,それは全ては私のことです。当たり前ですが。

 

さまざまな呼び方をされる場合、それぞれに立場と顔があり、荻野伸也という人間の印象も相手の立場によって様々となるはずですし、私自身も自然と使い分けてます。

スタッフからは嫌われてるでしょうし、お客さんには変態シェフ,子供からは天パーお父さん、取引先からは使い勝手いい奴で、オレンジページではイケメン先生でしょう。私もそれをある意味で演じてます。

うちの親父は校長まで勤めて勲章までもらった偉い先生らしいですが,私にとっては麻雀狂いで酒好き、お湯も沸かせない亭主関白で母親想いの親父です。

 

これを著者は個人をさらに細かく分けた分人主義と呼んでいます。分人を見ていくことでその多面性を反映した立体的な人物像が立ち上がり、濁った水も清流も合わせた一本の川こそが人間であると理解できます。

料理で言えば、レストランならばフランス料理人ですし、ターブルならば惣菜を作り、家では子供のために米粉でパンを焼き、実家に行けば寿司を作り、賄いで青椒肉絲をつくりますが、自分のための食事は毎回うどんな私ということです。

それぞれにはそれぞれの理由があるからこそ、最適な選択をしているのですが、一方で本心の赴くままに自由にやって良いと言われたら私は一体何を作るのだろうか、という問いをつきけるのが本書です。

店や会社をやっていくために利益を出さねばなければいけませんが、そうした大人の事情とも言える制約を取り払った場合、自分はどんな人にどんな料理を作り、何を表現したいのだろうと考え、そしてやはりここ何年か考えていた同じ答えに辿り着きました。

この話はまたの機会に。

 

 

前作の”ある男”は、死んだ恋人が実は偽名だったというストーリーからモロに分人主義を表現しました。

 

今回の作品はさらに一歩踏み込んで、十分生きた、と話す母親は自分の死をデザインできる自由死を選択しますが,自由死する前に不慮の事故で亡くなります。

主人公は亡くなった母のバーチャルフィギュアを作り、母親という個人の客観性、他者性に向き合い、母が自由死を選んだ本心を探り、母が死ぬまで隠した自分の秘密を知り、咀嚼することで少しづつ大人になり、自立していきます。

作品にはさまざまな社会的な問題提起が散りばめられており、登場人物と社会問題がリンクする形で話が展開していきます。

 

社会的弱者の経済的理由や、時代から自由死が賛美され、そのプレッシャーによって母は死を選択したのではないか?

しかし、社会や環境に影響されない自由意志や本心などありえるのだろうか。

死が自己決定できる近未来において、自然死ではないその選択の本心を想像する事の残酷さは遺された者に永遠の悔恨を植え付けるのでしょう。

しかし私は思うのです、あらゆる人は死ぬ瞬間まで何かしらの未練を残すものではないかと。

人間とは死ぬ間際まで未完成であり、未完成のまま死んでいくのではないかと。

一方で誰かの死とは死んだ本人にとってあまり意味をなさず、どこまでいっても遺された周囲の人々にとっての問題なのだと思います。

 

 

 

2021年09月01日

フォアグラのムース再販です。

 

高いのであんまり売れないかなと思ってましたが,売り切れた後、結構お問い合わせいただいたのでまた作りました。

 

レシピを書かないので前回と違う仕上がりで、少し滑らかになってます。

 

レシピとかルセットってものには、その料理人の哲学とか思想が露出します。

分量がどうってことではなく、手順とか段取りの踏み方という一連のプロセスに一番違いが出ますね。

例えばこのフォアグラのムースならば、血管をどこまで掃除するのか、火入れの温度、脂の残し具合、酒の煮詰め具合、生クリームの立て方など、微妙な違いの積み重ねで最終的な製品に大きな違いが出ます。

同じ材料と同じ分量でも出来上がりが全く変わってくるので,分量よりもプロセスが重視され、プロセスこそが料理人の人格そのものとなります。

このフォアグラムースにはハンガリーの冷凍、トリュフも冷凍のヒマラヤトリュフを使ってます。

私は冷凍の素材を否定しません。冷凍素材のクセを見切って冷凍でも美味しくできる料理法を選択すれば良いだけの話であって、ペリゴールのフォアグラとトリュフで有ればまた違った料理になり、最終的な価格がこのムースの5倍なるというだけです。

5分の1の価格でこの味わいがご家庭で気軽に楽しめると言うことにこそ、ターブルオギノの価値があるのだと思っています。