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2018年07月23日

珍しく電車に乗っております

電車があまり好きではない私。

 

なぜ苦手かと問われると、なんとなくです。

 

鉄ちゃん界隈のフェティシズムも理解はできるのですが、敢えて言うならば自分で操作出来ない点。

自営業者特有の身勝手なサガでしょうか。

 

 

珍しく新幹線に乗ると、中川家の礼二がやってるトイレのモノマネが秀逸だったので、したくもないのにウンコしてみたり、車内販売の綺麗なオネーさん来ないかなーとソワソワしてみたり、喫煙ルームの皆さんは肩身が狭そうだ、と思ってみたり、それはそれで楽しいものです。

 

なぜ、電車なんぞに乗ってるか、というと私の可愛くて可愛くて仕方ない自慢の愛車の後部座席は恐ろしく乗り心地が悪いらしく、嫁曰く長距離ドライブに向いてないのよね、との事。

 

屈強なラダーフレームに加えて、時代遅れの板バネ特有のボヨンボヨンした感触がお気に召さないらしい。

 

車というのは、犬と同じく私の中で家族同様の一心同体であるはずなのに…

来週の山では活躍してくれるだろう。

 

 

今回は私の実家の両親に成長著しい孫の顔を見せるというミッション。

孫と嫁がいれば事足りるはずで、私の出番はもはやないに等しいにも関わらず、3時間睡眠で犬を動物病院に預け、駅から電車に乗り、小田原から新幹線という、およそ普段からかけ離れたタイムスケジュールで行動しており、すでに疲労困憊。

寝不足で今にも気絶しそうだけれど、ここでうっかり寝てしまうと、起きたらビックリ新大阪、ってことになりかねないので、こんなどうでもいいブログを爆音のトミーゲレロと共に書いております。

 

現在掛川。

あと少しで豊橋だ。

 

 

既に実家を離れて暮らした時間の方が長くなり、帰省するたびに昔の風景がガラリと変わっていることも多い。

 

私の育った愛知県蒲郡市というところは取り立てて何か大きな産業がある街ではなく、綺麗な海と小さい山と温泉と競艇場とパチンコ屋とCoCo壱番屋があるだけの普通の街です。

 

この街にフランス料理屋なんてある訳もなく、外食といえば焼肉くらいしかない街に育って、なぜ料理人になったのか、もはやわたしにもよくわかりません。

 

テレビで見たのか、本でも読んだのか、それともアニキが美味い美味い言ってたカルボナーラやラザニアなる食べ物が、気になって気になって仕方がなかった、ただの西洋かぶれがきっかけだったのか。もちろんカルボナーラはフランス料理ではないわけですが、要するに町の外、外界に憧れていたのでしょう。

 

大人になれば簡単に行き来出来る距離も子供の頃は今で言うと外国に行くような遠い感覚だったような気がします。

だとすると、おたくのお子さんに早くからインドカレーなんて覚えさせたら、ボクちゃんはインドカレー勉強するためにインドに行く!とか言った挙句に大麻漬けになったりする可能性もなきにしもあらず。

私のようなガキにならないように、お気をつけください。

 

 

自分が知らない土地、カルチャー、言葉。

漠然とした西洋への憧れがこの仕事に結びついたとすれば、それは私にとっての天職なのかもしれません。

 

食文化というものは芸術や学問よりも生活に密接で人間臭くてニョロニョロしたウナギのような捉えどころのないものです。

正解があるわけだもなく、作り手の考え方、食べる側の嗜好が複雑に絡み合って少しづつ形作られた時間と知恵と気候風土の鍾乳洞みたいなものです。

 

そして、これまた難しく答えの出ない問いがあります。

 

日本人である私が日本で日本人に向けて日本の食材でフランス料理を作るという意義が何か、ということです。

 

 

これは目黒で店を任されて2年目くらいから悩み始めた課題で、かれこれ12年くらい頭の隅っこに置いてあります。

 

こればかりは新幹線みたいに乗っていれば目的地に連れて行ってくれるはずもなく、自らが答えを見つけ、それを信じ、信念持ってやるしかないのですね。

 

それが何かわかるのは引退する時なのかもしれません。

 

と、言ってるうちに豊橋に着きました。