Home > 2018年10月

2018年10月21日

イノシシついでに

 

八ヶ岳の義父に塩漬けした豚を預けて、スモーク&ドライをお願いして、そちらが完成したとの事でピックアップして来ました。

 

素晴らしい仕上がり。

 

東京の冷蔵庫でドライにするより、さらに八ヶ岳のこの時期の冷涼な気候がいいのだと思います。

 

まあ、文字にするとただのスモークハムなんですけど、このディテールに神が宿るのだと思ってます。

2018年10月20日

おおおお

 

立派なオスのイノシシ。

70キロくらいありますね。

 

いやー、往復7時間半。

長かった〜。

 

さて。

 

とりあえずランチやってこの子をバラします。

 

爆走中

ディナー落ち着いた頃、22時過ぎに店を出て、ひたすら中央道かっ飛ばしてサービスエリアでラーメン食ってさらに爆走。

 

4時間ジャストで到着。

 

そして只今、イノシシを荷台に積んでこれから東京に戻るという変態的なスケジュール。

 

開田高原の滞在5分。

 

途中、富士見町に寄って仕込んでもらったスモークハムをピックアップしようかと。

 

これが美味いんですよ。

 

日付変わって今日のディナーからハムを出しますかね。

 

あー、眠い。

 

ランチまでに帰れるかなぁ

2018年10月19日

イノシシ捕獲

と連絡ありました。

 

いつもならバラして送ってもらうのですが、農作業がピークのため、時間が割けないとのこと。

 

イノシシが食べられるようになるまでには、これまた途方も無い時間がかかります。

まず、撃ち殺した場所から軽トラまで引っ張って下ろしてきて、60キロの巨体を車に載せます。

 

そこから作業場まで運んで腹を裂いて内臓を取り出し、皮を剥いで洗います。

 

そしてクール便ならば15キロという上限設定があるため、各パーツにバラして箱詰めして送る。

 

しかし、今回はその一連の作業をする時間がとれないのです。

そりゃそうだ。

いつ取れるかわからないイノシシの為に時間を確保しているわけではないのです。

 

なので、私が営業後に車でカッ飛んで取りに行きます。

取りに行かなければ山に埋められます。

 

こちらの都合で日付指定の時間指定で生き物がちょうどよく出てきて死んでくれれば良いんですけどね。

 

こちら都合ではどうにもならないのです。

 

 

時間の無駄?

無駄こそ文化なのです。

大腸にポリープが見つかりました。

ウチの親父。

で、検査の結果は良性。

めでたし、めでたし。

 

 

もし君の余命は一年だよ、

って言われたら明日から何しますか?

人はいつか必ず死にます。

死を意識することで本質が見えて来ます。

 

 

 

先日の続き。

私も皆さんも病気なんです。

その病気とは。

身体的な第六感の欠如です。

私の言う第六感とは、自然や動物本来の人間としての本能を感じる感覚です。

何か見えないないものに対する畏れの肌感覚と言っても良いでしょう。

生の隣に死を意識すると言うことです。

自然という横暴で理不尽な存在を遠ざけ、昨日まで生きていた豚や牛は真空パックの工業製品化する事で死という不浄なものを遠ざけ見えないように蓋をし、都市に固まって暮らすことで自然災害などの理不尽な死に怯えることないかわりに、自然に対する畏怖の念を凍傷で鼻がもげるように欠損し、あたかもなかったように日々を暮らしている事が原因ではないかと。

本来の自然とは横暴で理不尽で予測不能、最悪の事態の前にやれる事はただ祈ることしか出来ません。

 

一番身近な存在でいうと、身体というものは自然そのもので、風邪を引いたり、太いウンコしたり、疲れて勃起したり、追い込みすぎて心臓がバクバクしたり、大腸にポリープが出来たりします。

感情とは違って、自然的肉体的なものは自分でコントロール出来ません。

その欠損した6番目の身体感覚を呼び覚ますために駒沢公園を走って心拍数を上げてハアハアと身体に刺激を入れることで生感覚を得る。

二足歩行動物である人間の最も原始的な行為である、走る、という行為によってそれを感じているのです。

しかしそれは日に日に鋭敏になる事はなく、逆に鈍化していくため、ただクルクルしても足りなくなり、エスカレートすると休みの日に自転車で200キロ走らければ得られなくなり、落ちたら死ぬこと確実な雪の壁に取り付いてプルプル震えるふくらはぎに、そして荒ぶる台風の波に向かう時に逆立つ尻の毛を感じて生きていると感じるのです。

現代人は死というものを遠ざけることで生を意識できなくなってしまった。

そうでもしないと生きていると感じなくなってしまった。

 

人口と産業が減っていく地方が行き詰まりを感じているのと同じく、都市生活者もある意味で行き詰まりを感じているのではないでしょうか。

 

わたし達は植物や動物の死の上に私たちの生が成り立っている事を意識しているのだろうか。

私たちの食べ物は誰かが作ったものです。

言い換えれば、日々の食事の素材をアウトソーシングして金で買っているだけです。

今日のランチで食べたブロッコリーを誰が作ったのか、知ってるいる人はほとんどいないのではないでしょうか。

料理を作っているわたし達料理人も同じです。

生産者に意識が向いていないからです。

食べ物は自然の恵みであり、誰かが育てたものあるという事を感じる第六感が欠損してしまっているのです。

西洋的な単一新教崇拝にはない、日本人特有の自然崇拝思想の欠損とも言えるでしょう。

 

田舎によくあるバーター的なやり取りはなく、隣家の顔も知らないのっぺらぼうの都市社会に慣れ、更に金が介在することで、その苦労や途方も無い時間は見えにくくなります。

フードロスも最終的には消費者がその分まで上乗せされて負担する事でなんとか回っています。

誰が作ったか知らないから、わたし達は簡単に捨ててしまうのです。

消費者意識とはそういうことではないでしょうか。

この大量消費大量廃棄社会の行き着く先に何が待っているのでしょうか。

この先の話はまた次回。

 

2018年10月18日

今夜限定で、ゲリラブイヤベースやります。

何故か今日だけゲリラでブイヤベースいきます。

 

何故って理由はあるんですけどね。

 

昨日今日といつもの撮影だったのです。

 

その中でブイヤベースを紹介したので、スープと魚介があるのです。

 

オマール海老とかは入りませんが、白身魚2種、エビ、ホタテ、カキ、などなどどっさり入ります。

 

仕上げはいつものリゾットか、スープ沢山あるので煮込みパスタでしめてもらっても最高です。

 

量的に今日だけか、明日もいけるかわかりませんが、ブイヤベースであなたをお待ちしてます。

フードロスを考える

フードロスについて色々考えながらの出勤途中に駒沢公園があるんですが、平日の昼間に美人なおねーさんたちがデーハーなウェアとメローイエローみたいなシューズに身を包み、颯爽と走っており、そのプリティなお尻を見てムフフとしていたら事故りそうになりました。

それにしても一体、彼女たちは何を求めて走っているのだろう。

 

何が不満なんですか?イケメンの彼氏がいて、大きい会社に勤めて、美人でお尻はプリティじゃないですか。

この最近の健康ブームは一体なんだ?

社会が健康なのでは無く、不健康な世の中の裏返しなのではないのか?

 

そう、それは病気みたいなもので、私も、うちの嫁さんも、ウチのスタッフも、これを読んでるヒマなあなたも、あなたの向かいのデスクの同僚さんも、今朝のスタバのバイトさんも、そして駒沢公園のプリティオケツ女子も同じ病気に罹ってます。

 

それを見てハッと気がつきました。

 

そうか、そういうことか。

この病気とフードロスは全く違うようで、同じ文脈だったのだ。

この病気には自覚症状もなく、すぐに死ぬ訳でもない。

 

しかし、それには職業別や地域別に分けて考えられ、どちらかというと都心の高層ビルのオフィスのPCでデスクワークが多い人はおそらく重症であると考えられ、例えば地方の農家さんや漁師さん、アイヌコタンに暮らす人々にこの病気にかかる人は殆ど居ないのではないか。

人間ドックのデータに検出されないだけで明らかに身体のある部分が機能不全しているからこそ、プリティオケツはグルグルと走り、ロードレーサーはローラーで喘ぎ、サーファーは荒れる海に入り、クライマーは垂直岩に取り付き、トライアスロンなんて馬鹿馬鹿しい事をやるのだろう。

完全におかしい。

逆に太って生活習慣病になって医療費を貪りフードロスを含む狂った食生活が資本主義経済を支えていたりする。

現代人は馬鹿なのだろうか。

 

 

フードロスは無くせるわけない、無理無理、結局個人の考え方でしょ、飲食店やスーパーだって資本主義経済のシステムの中に組み込まれて毎日ギリギリですよ、捨てる方がリスク低いし、食べ物捨てたくないけど、そうは言いつつも機会損失はなるべく避けたいしね。

フードロスに処方箋なしと半ば諦めモードでしたが、その考えが変わったのです。

フードロスもこの病気が原因なのだと。

この現代人の大半が侵されている病気を治せば良いんじゃないか。

 

ターブルオギノでやっていることは、西洋医学的対症療法に過ぎません。

東洋医学的根本治療の考えから、症状で無く原因にアプローチする。

 

ああ、そういうことか。

実現可能性が、一気に見えて来た気がする。

 

この病気についてはまた今度。

 

 

 

 

2018年10月17日

寝不足決定

物凄い本に出会ってしまいました。

 

わたしが10年来悩んできた課題に対するヒントが満載。

 

一旦ハマるとその人の著書を全て読破しなくては満足できない症候群なので、これは寝不足決定。

 

いやぁ、歳もそんなに変わらないのに、こんなすげえ事を考え、発見し、そして何より事業としてやっているということに感服。

 

お金というのは、バーター経済から貨幣経済へのスムーズな移行の為の手段であったはずなのに、私が社会に出る頃には既にお金を稼ぐ事、より多く待つ事が目的となってました。

 

お金の使い方が大事であって、お金に使われたくないものです。

 

読み終えたら、私なりに成長している気がします。

そして即行動ですね。

 

2018年10月15日

警察署にて

まずは一階の案内係にて。

 

・えー、生活安全課ってどこすか?

#3階ですけど、なにか?

・あのぉ、銃の所持許可なんすけどね。

#ほほう、銃ですか。そりゃまた…

 

と、壇蜜のカメラワークのように上から下までナメるようにスキンベットの警官に見られました。

 

で、三階に登り生活安全課。

 

・えーっと、銃の所持許可申請なんすけど。

@え?なんで?銃なんて持つの?

・狩猟やりたくて。

@ふーん、じゃあ、これ書いて。

・は、はぁ。

@アンタ、職業何?なんでそんなに泥だらけなの?

・自営業ですけど。レストランとかやってて。泥だらけなのは、さっき畑行ってたんで。

@なんで銃なんて持ちたいの?

・いや、自分で動物殺したいんです。

@ピク!殺す?

・あ、いや、店で出す鹿肉とか猪肉とか

@あー、そう言うことね。

じや、写真添付して初心者講習受けてね。

 

 

という事で、書類貰って帰ってきました。

なんですかね、疑いの目。

私みたいな善人顔したイケメンに向かって。

 

とりあえず、年内に初心者講習受けて試験受けて来ます。

 

たまには真面目な話。

長文ですので、時間のあるときに。

取材してくださった井出さんのさまざまなお話を伺いながら、モヤモヤとした私の頭の中も整理されてスッキリし、とても勉強になりました。

フードロスや一次産業から出る規格外品という問題に料理人が出来ることとはなんだろう。
と、悶々と考えながらターブルオギノというセカンドブランドを立ち上げ、試行錯誤しながら早7年経ちました。

加工する事で付加価値をつけるというのが料理人の仕事であるならば、規格外品の活用によって自給率の向上にまで貢献できるのでは無いか?
その想いは今もブレません。

加工者であると同時に消費者でもある私たち料理人。

生産者との濃厚な関係の中で考えるに、そうした問題点を突き詰めて考えるに、やはり消費者意識というものを私自身含めてもう一度考えるタイミングにあるのでは無いだろうか、と。

食べ物を選ぶ、買う、食べる。

投票にも似たその選択が問題点への原因の一部となるのか、それとも解決の一部となるのか。

 

https://news.yahoo.co.jp/byline/iderumi/20181015-00100505/

« Previous | Next »