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2018年02月23日

丸出し通信ですから

口当たりマイルドなホイホイ記事書いて”いいね!”を狙いに行く私のヌルいSNSとは違い、このブログでは本性丸出し、本音モロ出しが魅力ではないか、と勝手におもってます。

双方向コミュニケーションではない一方通行なヘタレブログですからね。

見たくなきゃ、ブックマークから削除してもらって良いんです。

 

最近、私の業界でザワザワしているトピックとして、安心安全とは何か、という議論があります。

例えば添加物に関してです。

ウチの惣菜やシャルキュトリーは科学的な添加物入ってません。

発色剤使ってませんとか、保存料入れてませんとか、そういうことを書くことが消費者に添加物を使う事があたかも良くない事であると誤認させるから自粛しろ、という通達が役所でもないウンコみたいな協会からありました。

添加物は動物実験を経て安全性が確認取れているから安全だと言うわけです。

しかし、身の回りにある冷凍食品やパック惣菜や安売りソーセージの裏を見てもらえばわかる通り、ありとあらゆる科学的な添加物のオンパレードです。

Aと言う添加物の使用量について豚は死ななかったから安全でしょ、って言われてもAとBとCを同じ商品に使った場合の影響って誰も知らないんですよね。

世の中には何千と食品添加物がありますが、単品での安全性は担保できても、複合的な使用に関してはなんの基準もありません。

食品添加物は鍵のついた保管庫に厳重に管理する事が義務付けられています。使い方間違えると人殺せますから。

そんなヤバいものは使いたくないし、そもそも昔はそんなもん無かったけれども保存食としてのメソッドが確立されていたからこそ、私は添加物に頼らないシャルキュトリーを突き詰めてやりたいわけです。

使ってないのを使ってないと書いて何が悪いんですかね?

そんなもん使わなくても美味しくできるわい、というハングリー精神も込めて。

 

 

そして、安心という言葉。

安心とは客観的ではなく主観的な概念であって、それを安心と捉えるかどうかは受け取る側の話です。

このソーセージは添加物入ってて全然腐らないので食べてもお腹痛くならないから買おう。

というのも安心の形であり、

ヤバそうな添加物タップリ入っているのは不安だから無添加が欲しい、というのも安心の形。

 

 

例えば私が今度買おうとしている死ぬまで乗ろうとしている車は、この時代に自動運転も自動ブレーキも自動縦列駐車可能も付いてないボロいミッション車だけど、とにかく頑丈で40万キロ走ってもビクともせず、どんな悪路でも帰って来られる世界最強と言われるもので、それが私の安心であるのです。

車に乗る以上、どんな先端技術があろうと事故のリスクはゼロにはなりません。

 

要するに選択の問題であって、キチンとポリシーを示して、買っていただけるかどうかはお客さんが決める話。

 

 

てか、今の時代のお客様は馬鹿ではない。

何が良くて何が良くないか知ってる人がほとんどですよ。

自分の子供に何を食べさせるか考えれば簡単に分かることなんですけどね。