Home > 2020年02月

2020年02月09日

賄いに命賭けてます

今日は揚げ魚の黒酢餡かけ、トウモロコシと卵のスープ、ジャスミンミルク豆腐

 

昨日はエスニックチキンフライ、フォー、生春巻き、ベトナム風炊き込みご飯。

 

賄いに命かけられない料理人を私は信用しません。

 

2020年02月08日

悲報

ウキウキして買ってみた馬のサーロインを賄いで食ってみようぜ、とのことでニコニコしながら焼いたものの、恐ろしく硬くて歯が立たない、いや、歯が折れるほど硬くてとてもではないですが、焼いて出すのは難しいです。

 

生っぽくてもダメです。

とにかく薄く薄く切らないと繊維が凄すぎて噛みきれない。

帰りの電車の中でも咀嚼しないといけないくらい硬い。

おお、まだここに居たのか、と。

 

さて、どうしたもんか。

タルタル?

いや、今回は塩漬けして乾かして味を凝縮させてカルパッチョにしましょう。

 

牛は違法ですが、馬は適法です。

もちろん、馬といえど生肉ならばリスクは高いので、塩漬けしてある程度滅菌したものにします。

 

最近、生肉食ってないなぁ、という皆様。

来週末にはご用意できると思います。

 

ここまでやっても硬かったら、潔くミンチにしてタルタルステーキにします。

 

 

サザエさんのリクエスト

あたい、タルトタタンが喰いたいよ、

 

と、カミソリサザエさんが脅迫してくるので、シクシク泣きながら作ります。

 

 

 

食後に食べるタルトタタンとして考える時、甘さより酸味と苦味がキーポイントかと思ってます。

酸味は紅玉本来の酸味を消さない事、

苦味は砂糖の焦がし具合です。

酸味は他のもので補えないので特に慎重になります。

 

昔ほど真っ黒く仕上げる事は無くなりましたが、酸っぱすぎても疲れるので砂糖をしっかりと焦がしたいのです。

 

 

2020年02月07日

究極のシャルキュトリー

完成です。

 

大変申し訳ありません、完璧な仕上がりでした。

 

 

外側から火の入りにくいもも肉、

ロゼの胸肉、さらに浅いササミ

そしてとろけるようなフォアグラです。

この料理はフォアグラを食べさせるのではなく、鴨を食べる料理です。

 

余計な説明不要、食べて鴨を感じて下さい。

相思相愛

定期的にハチノス食べたい病に罹患するので、作ろうかと。

今回は豚足も入れてゼラチン質アップ。

 

なんだかんだ言って、やはりトマト煮込みが好きなのです。

 

と、思っていた矢先、

顔面がチンコみたいなエロス全開の常連チーム構成員より、

あー、トリップ食いたいなぁ

と早朝に迷惑メールが来ました。

 

おお、迷惑な上に奇遇ですね。

トリップは寒くなると食べたくなるのでしょうか。

 

固有名詞料理ってのは今日まで残る理由があるので名前があるのです。

一口に肉じゃがと言っても牛なのか豚なのか、板コンなのか糸コンなのかは作り手の考え方によりますが、作り手と食べ手の間にある信頼関係と同じ料理に対するアツイ思いがズッポリ結合する時、勃起するほどの感動が生まれるのでしょう。

コレコレ、これだよね、と。

 

 

 

そんな快感を知ってしまうと無茶なリクエストにも感謝し、なんとかして旨いものを作ってやるぜ、となるものです。

そこにあざとい原価計算やギブアンドテイクなんて必要ありませんね。見返りを求めない男気の問題ですから。

 

 

という事で、黄色いパン屋さんのバニラ違法積載ベニエが食いたいです、ヒルクライマー社長。

 

 

 

 

2020年02月06日

キッチンから世界が見える

 

ウチが取引しているオーガニック農家さんはウチ用に畑を用意してくれてます。

毎週、その中でいいものを送ってくれます。

端境期や冬場は乾物や保存のきくじゃがいもや大根などの根野菜がメインになります。

 

 

たまに、それらとは別に出来すぎちゃった野菜、キャンセルされちゃった野菜、他には出せないバラバラのサイズ感の野菜などを頼まれることがあります。

 

そういう時こそ、ウチの出番ではないかと。

こういう時のために大量に加工して販売できるターブルオギノという仕組みがあります。

 

もちろん、レストランでも使いますが、たかだか30席程度でやれることなんてインパクトが小さい。

レストランではインパクトが小さすぎるので多少規模感ある惣菜屋をやっています。

1日、多い時で900人ほどのお客さんと接するインパクトはレストランでは不可能。

そして何より日常的に買ってもらえる価格にできるのが良い。

 

 

 

今回は甘さマックスまで引き上がった在来種のカボチャ色々が来ました。

甘さマックスということは鳥や虫に食べられやすい。

所々穴が開いてしまったので、その辺りを綺麗に掃除して、種抜いて送ってくれました。

 

確かに、普通に考えれば商品としての価値は薄いのかも知れませんけど、味わいには関係ありません。

そもそもカボチャを作るってのはなかなか根気のいる作業です。

土に接している部分が湿ってジュクジュクにならないように刈り取った雑草をクッションがわりに敷き詰めて乾燥させながら育てるのです。

日の当たり方が片面だけだとバランス良い色合いにならないので、シャンパーニュの瓶のように日々少しづつ回転させる人もいます。

そこまでやっても、たまたま雨が続けば土に当たる部分はどうしても溶けてきます。

そういう部分をわざわざ切り取って送ってくれます。

 

 

さて、昔はこうした食材で惣菜作る事をゴミ商売として、業界の偉いとされるオッサンに全否定されたことがありましたが、本当にこれはゴミなのでしょうか。

 

その時の怒りが私の原動力です。

 

 

食べ物はモノではなく、見えない人々の出来事の積み上げです。

商品の価値とは一体なんなのでしょう。

最近、よく分からなくなります。

 

 

 

 

 

ブルー

何でもかんでもロゼがいいかと言えば、時と場合と食材によります。

 

フランスのステーキ屋に行くと、椅子に座った時点でいきなり焼き加減を聞かれます。

ブルー?セニャン?アポワン?

だいたい私はレアにあたるセニャンと答えます。

ブルーはほぼ生、アポワンはミディアムといったところでしょうか。

いいですよね、非常に潔い。

日本の”いきなり!ステーキ”も

肉を一種類にして”いきなり!焼き加減”

に改名すればいいのに。

 

今回は馬のサーロイン。

牛を想像されるとちょっと違うかと。

パリにはシュバリエという馬料理屋がありました。私もよく行ったんですが、まだあるのかな。

 

とにかく馬は焼き過ぎ厳禁。

表面だけ軽く焼いたタタキみたいなブルーの方が味があって旨いです。

うちの畑のワイルドなニンニクを効かせたパンチあるソースでいきましょうか。

 

 

 

 

2020年02月05日

長谷川自然豚

取引先との成り行き上、とある取材を受けることになりました。

 

一回話聞いて撮影して終わるものではなく、何ヶ月も追いかける密着型の誌面、なんと6ページぶち抜きです。

私なんて文字にしたら1ページ半くらいしかネタが無いような薄っぺらい人間だと思うのでお断りしようかと思いましたが、プロの作家さんが私をネタに食の問題について書いてくれる良い機会になればと思いまして受けることにしました。

 

 

テーマはオーガニックと食品ロスです。

そこを深掘りするならば、確かにページ数多くないとダメですね。

 

そんな取材の初日。

国産でオーガニックミートを探すのは非常に難しいという話題に。

なにをもってオーガニックとするのかは明確な基準がないため、線引きは難しいですが、完全なるオーガニックと断言できるのはジビエでしょう。

里山に降りてきて作物食べるものもいますが、そうした獣が食べるのは決まってオーガニックな野菜ばかりです。

普段は鹿なら草や苔、木の芽などが胃袋から出てきます。

しかしながら日本国民がみんな毎日鹿肉食べたら1年で鹿が絶滅しますね。

 

では、家畜で完全なるオーガニックを考えると、私が知る限り1人しか思い浮かびません。

前からたまにウチでも登場している青森県鯵ヶ沢の長谷川さんです。

豚の飼料も完全無農薬のジャガイモを与え、抗生物質なと何もかもフリー、飼育日数も長い。

当然、生産効率は低いので価格は高く、普通の豚肉の5〜6倍しますが、味は絶品。

あの豚の脂の質は他で見たことがありません。

そして長谷川さんのところで修行された方が大鰐に帰って小売店からの食品廃棄物を食べさせた豚から生ハムを作っていますが、その生ハムも絶品です。

また買いたいな。

 

 

野菜でも肉でもオーガニックは必ずしも美味しさと直結しないことも少なくないですが、長谷川さんの豚は本当に旨い。

 

とりあえずロースだけを買いましたが、今後は一頭買いして各パーツで最適な料理しようと思います。

 

絶滅危惧種

フランスのバルバリー鴨を丸ごと買いました。

1羽3キロ越えの一級品です。

腕が鳴りますねぇ。

 

ここ最近、肉はなんでもかんでもパーツ売りが基本。

最近のちびっこは海の中でアジの切り身がそのままの形で泳いでいると思っている、という笑い話みたいな笑えない話がありますけど、今のコックさんも丸の鴨や鶏は見たこともバラしたこともありませんし、パーツでしか料理したことありません。

そんな必要ないですから、やる必要がないのです。

必要が無くなってパーツで買えればバラす手間なくて便利ですけど、バラす技術と経験、何よりアンティエでなければ出来ない料理に触れる体験がなくなります。

鴨、鶏、ウサギ、子豚などアンティエ前提の料理は数多くありますが、ほとんどその姿を見なくなり、作れる人もいなくなり、

あー、そんな料理、昔の料理人の本で見たことありますけどねー、どうなんすかねー、面倒くさ過ぎますよねー、

という日も近い。

いや、すでにそうなってるからパーツでしか買えない。

 

 

食べた事なければ作ることもできず、作ることが出来なくなればこの世から姿を消します。

労働時間の制約が厳しくなって便利や効率を求めれば、手間をかけた旨さは淘汰され、誰でも作れるロゼ一辺倒の焼肉料理か、ウケ狙いのエンタメ小皿料理ばかりになって、深い味わいの職人技は消えていくのでしょう。

ガストロノミーとは手間と時間、簡単には真似できない職人技を注ぎ込んだ余白の文化。

余白よりも効率、効率化とは均質化、均質化とは再現可能性を上げて誰が作ってもブレがなくなる事です。

職人技は属人性が高く、その人にしか作れないクロワッサンがあり、テリーヌが存在しますが、その人が作らなくなればこの世からなくなります。

では、それを守っていくべきなのかと言えば、それは均質化に進むことを意味しますから無意味です。

 

そう、モノづくりや職人技とはこうして消えていく運命なのです。

 

効率を突き詰め、不便を便利に塗りつぶすことが近代化なので有れば、私たちの仕事はどとらにしても消えていくのでしょう。

その儚さこそが価値とも言えます。

わざわざ手間のかかる事をあえてやる事が職人のこだわりであり表現。

手間をかけなければ到達出来ない絶対領域があり、それらの表現にはある種の狂気が伴います。捌き方や火入れが少しでも狂えば最終的な仕上がりに大きな差が出来るため、些細なミスで私も殴られ蹴られ顔を腫らして覚えたものです。

そんな事を今やったら一発で社会から抹殺されますから、誰かに教えることなんてしません。

やれるもんならやってみろ、と。

 

 

 

 

鴨は真ん中にフォアグラをぶっ込んで巻いてバロティーヌとします。ニワトリでやるのが一般的ですが、フォアグラは鴨から作られる為、鴨で巻く方がテロワール的にも自然です。

比較的高い温度帯で鴨を綺麗に火入れすると共に、中心部のフォアグラには低温でねっとりとした食感を残さなくてはいけません。

鴨は生ではダメですが、カモに火が入る温度帯はフォアグラには高過ぎる。

鴨の余熱で全体的に火を入れながらもフォアグラの脂を出し過ぎれば意味がない。

要するに周囲と中心で火入れが変わります。これはデジタル化出来ないナイーブな作業です。

仕上げに鴨の皮から余分な脂を出し切るために表面を焼きますが、これも計算に入れなければならない。やらなければブヨブヨとした間の抜けた仕上がりになります。

 

これだけ書いておいて、失敗したら大笑いですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

« Previous