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2019年12月19日

勉強になります

ナチズムとオーガニック農法との意外な結びつきを研究してきた著者が、ナチスのアニマルウェルフェアや品種改良と優生学を突き詰めた結果がホロコーストにつながっていく過程をロジカルに語った一冊。

 

 

思想とは極端に突き詰めすぎるととんでもない事を平然とやってのけてしまう恐ろしさを同時に孕んでいる事を教えてくれます。

 

原発を批判するならば、化学肥料も批判されなくてはならない。

ハーバー・ボッシュ法の発明から始まった窒素固定による化学肥料製造の手法は火薬の製造と同じであり、戦後、火薬から化石燃料を大量に必要とする化学肥料に転換されたことがきっかけで始まった現代農業や現代人の食の危うさと脱原発に対する処方箋をショッピングモールのフードコートという極端な例えを用いて解き明かしていく著者の視点は興奮すら覚えます。

2019年12月15日

屈辱と敗北

1週間の終わりにグリストラップという、排水路の脂除去装置のような貯水槽を掃除するんです。

グリストラップとは、うまい料理とは対極に当たる不要なモノ、灰汁、脂、汚水、ゴミを排泄する、人間で言うところの肛門みたいな店の大事な臓器を掃除する儀式があるのです。

 

大事でありながらも、そこは私たちの恥部でみんなが手を挙げて掃除したいと思わない場所です。

 

今日、そこを私が気合を入れて掃除しましたが、仕上げのクライマックス、シンクに貯めた熱熱のお湯を一気に流し込み、汚物や脂とともに、自民党のあらゆる不正や桜を見る会、モリカケ問題、共通試験問題、シュレッダーが混雑していて使えなかったよ問題などを国会閉幕とともに見えなくしてしまえ!俺は森羅万象を司る神として降臨した安倍なのだ!ウハハハハ!

と、やろうとした瞬間、私の両足が滑ってズッポリ。

熱熱のお湯と汚物と脂と自民党がゴッチャになった液体の中にハマってしまった…

 

なんと言う事だ。

俺は安倍の悪行と汚物を水に流して忘れようとしただけなのに…

森羅万象の神、安倍恐るべし。

ナイフで切るという事

国見さんが、鼻の穴を大きく広げて

俺の嫁さん可愛いだろ

とフガフガ言うのであっさり認めて肉を大盛りにしてあげました。

 

 

 

アントナンカレームというオジサンが一皿づつサーブされるロシア式サービスをフランス宮廷内に持ち込むまで、フランスでは大皿宴会料理の取り分けとしていました。

ですので、肉は切り刻まれ冷めた状態でサーブされます。

しかし、ロシア式サービスでは熱いものは熱くサーブされるので、肉はカットされずに一人前づつきれいに盛り付けられました。

盛り付けられた料理を携帯していた剣で切って左手で手掴みで食べていたのです。

当然、指が汚れますので、指を拭いて隠すためにテーブルから垂れ下がるテーブルクロスが必要でした。

皿は陶磁器が登場するまでは木の板を使い、調理という行為の延長線上、最終工程として肉を切って食べるという文化があります。

これがレストランの原型、最上流部です。

 

イタリアから洗練された料理たちとともにフォークの原型がカトリーヌ・ド・メディチがフランスに嫁ぐことで一緒に持ち込まれ、現在の4本フォークとなりました。

最初に持ち込まれたフォークは4本角ではなく2本角でフルシェットという道具として現在でも調理場で肉をひっくり返したりモノを引っ掛けたりする道具として活躍しています。

 

肉を切るというのはレストランの楽しみです。人間の原始的な悦びと言ってもいいでしょう。

 

最近はわざわざピロピロカットしてくれるみたいでナイフ要らない料理全盛ですが、私はなるべく切りたくない。

もちろん、ソースを絡めて食べて欲しい料理は薄くスライスして表面積を広げて盛り付けます。

例えばマガモのサルミや鴨のオレンジソースです。

 

まあ、こう言うフェティシズムに近いこだわり豪速球で投げてもしっかりとキャッチしてくれる人がどれだけ居るかと考えると少し寂しくもありますが、自分の中に流行り廃りではないロジカルな部分は残しておきたいと思っています。

 

2019年12月14日

何者か

 

やっぱり魚かな

 

だそうです。

私は普段、肉はあまり食べません。

休みの日はほとんど魚食ってます。

だからかなんだかわかりませんが、この特集に異物混入している存在としてコメント出してます。

というのも、何故か私のところに編集の人から質問きまして、ネタは何が好きですか?

よく行くオヌヌメの寿司屋はどこですか?

などと、根掘り葉掘り聞かれたので、正直に答えました。

ウニと貝と青魚が好きです、と。

クルクル回るはま寿司やくら寿司に行ってお皿を5枚テーブル横の穴に入れるとガチャガチャ出来るんですよ、ウチのチビが喜ぶんですよ、と。

しかしながら、クルクル回る寿司の話は掲載されず、ウニとか貝のネタの話だけが切り抜かれてカッコよくEXILEと同じ枠でコメント入ってます。

はま寿司やくら寿司も良いもんですよ。

そもそも寿司や天ぷらは日本のファストフードですから。

 

 

 

別の日、愛読書を教えてほしい、と料理人向けフリーペーパーみたいな媒体に聞かれたので、今年9回裏逆転満塁ホームランだった本をオヌヌメしておきましたが、読書家の料理人に出会ったことはありません。

それにしても料理人が読むフリーペーパーって初めて知りましたが、中身は仲良しサークル会報誌という感じで、表紙もどこかの料理人のおじさんが腕組みしてキメ顔しており、一体誰が読むのだろう、と思いましたが、そこそこ発行部数はあるみたいです。

料理人がオヌヌメする料理人、という傷を舐め合うコンセプトらしく、表現者は孤独で貧しくあるべし、と思っているルサンチマン野郎な私は、料理人という仕事が益々よくわからなくなりました。

そもそも、こういう企画で取材対象としての私は一体何者なのでしょうか。

最近エラソーになり続けている私達料理人なんか取り上げないで、頑張ってる生産者をドンドン世の中に出すべきだと思います。

マジで

 

 

 

頼むから辞めてくれ。

 

2019年12月13日

料理通信イベント その4

足るを知る、と言われても生まれた時からなんでも与えられており、食べ物はビニールに包まれていたものとして既にあった私達世代は、何が足りているのかわからない世代です。

食べ物は買うモノで作ったことがないし、どうやって出来るかも知らない。

綺麗な靴履いて後ろに手を組んで生産者の話を聞いて畑を回って分かった気になっている自分が、料理について語る事が恥ずかしいと感じていました。

料理とは一体、どこからどこまでなのか。

そんな事を最近は良く考えます。

昔の人は今の私達よりも少し川上に料理の始点があった。

ポールボキューズは市場の料理を提唱し、故郷に帰って地元の市場で生産者から直接買い、話し、食事に来てもらうような家族的な料理を大切にしていました。

トロワグロはキッチンに遊びにくるハンターからツグミを貰い、スペシャリテのツグミのムースをつくりました。

メニューを書く、というよりはその時あるモノをどうしていくか、という点から料理を始めていた様に思います。

 

 

 

先日、寒くなるぞ、なんなら雪降るぞ、とラジオでわーわー言ってましたので、こりゃあかんと言う事で野菜達の様子を見てきました。

 

 

どうですか、この白菜。

言わなくてもわかるんです。

私をキツくカタく縛り上げて欲しいの

という声が聞こえる。

寒くなって霜降りて溶けて腐る前に八方に伸びた葉っぱを麻の紐で縛って中を守ります。

去年の反省からです。

明日は急激に気温が下がるとのことで、雑草を細かく切って作物の周りに敷き詰めて保温する作業など、去年は思いもつかなかった事が自然と理解できるようになりました。

白菜餃子の作り方は色々知ってても、白菜をどのタイミングで縛るのか、気温が急激に下がる時に何をどうすべきかなんて知らないし知ろうともしなかった。

自然栽培専業農家すらも無農薬で白菜を作る事が恐ろしく難しいという事だけはハッキリと分かりました。

そんなことしなくてもオオゼキにはミッシリした白菜が並んでます。それを買って塩揉みして皮で包めば、私の餃子なのです。

フードロスをしてはならない、サステナブルでオーガニックヨロシク!と言うのは、所詮現場を知らない料理人の綺麗事で、お前は白菜の何を知っているのか。

 

圧倒的に現場の経験が少なく、経験を失えば行為に伴うリスクと労力、手触り、匂いを失います。

爺さんの頃には当たり前だった、そんな畑に寄り添う料理は皮肉にも私の料理表現のテーマとなっています。

昔の人は高度な流通を持たないので、家の周りのものを上手く取り入れて知恵を絞り、対応していくしかなかった。

流通が発達するにつれて見えない部分が多くなり、自分の作った野菜を誰がたべるのか、食べてる野菜は誰が作ったのかも見えなくなりました。

結果、グルっと一周回って生産者の見える野菜という新ジャンルが登場し、畑に寄り添う料理なるものが生まれたわけです。

冷蔵庫の無かった頃の料理人の料理とは一体どんなものだったのか、非常に興味があります。

赤身肉豊富です。

何故か、赤肉がこのタイミングでいっぱい来ました。

オーガニックビーフのハラミ

会津の馬ハラミ

オーガニックビーフのバベット

国産未経産牛のバベット

 

なんだかよくわかりませんが、店主の好み全開です。

霜降り肉に飽き飽きしているセレブの皆様、この機会に是非。

肉の味とは何だったかを思い出させてくれるラインナップです。

2019年12月12日

一応

言い訳じゃないですけど、ちょっと思うことありまして。

 

年末セットの使い捨て容器削減ですけど、パテやチキンは真空パックなのでプラな訳です。

ターブルオギノの惣菜入れてるのはプラパックでして、最近特に槍玉に挙げられているストローやプラスプーンと構造的には同じ事です。

海洋汚染やポイ捨てでペットボトルやストローやプラパック、レジ袋などのビニール製品への批判や代替案が盛んに議論されてます。

 

さて、当事者としての認識をそろそろ書かねばならないと思いつつ。

 

プラスチック包装を全廃する事は、もはや不可能だと思っています。

リサイクルされたものをなるべく使用する様にしていますが、結局そんなことはプラの問題全体からすればお茶を濁している程度の話で、ハッキリ言って根本的な解決にはなりません。

前々から思うこととして、プラスチックを使い続ける事の環境的なリスクは議論に上り、削減する努力や紙ストローは善とされ、使い続ける事は悪という風潮ですが、果たしてそうでしょうか。

惣菜やテリーヌなどをプラスチック使わないで包装するとなると、かなりリスクが高い。

要するにプラスチックを使わないことによるリスク、というのはあまり想定されていません。

ビニールを使うことで衛生面で避けて通れない問題を解決できたことにも、目を向けるべきかと。

真空パックできたからこそ、発色剤無添加でテリーヌ売れるようになりまし、生肉も長く保存できる様になり、長時間の流通にも対応出来る様になったための恩恵というのも無視出来ません。

無くしても良いものや削減できるものはどんどん変えていくべきですが、ビニールを使わないとリスクが増すものは使うべきです。

そこが私の中で線引きとしてます。

線引きするとこで用途が明確になれば、削減スピードも加速すると思うのです。

スタバのストローやめるなら、蓋も止めるべきですし、だったらいっそのこと紙コップもやめて水筒に入れれば良いわけです。

惣菜販売の理想はお客さんがマイ弁当箱持参ならプラ容器は必要なくなりますが、テリーヌは色も風味も変わるので、真空パックは変わりません。

なんでも二元論になりがちですが、受けている恩恵は素直に受け止め、無駄は省いていく事でも、相当な負荷がなくなるのではないかと思うのです。

 

2019年12月11日

決まりましたよ

行くぜ
年末セット!

去年よりも更にパワーアップしております。
パテ200g
リエット100g
フォアグラのムース100g
赤味噌ビーフシチュー200g
ミートボール 2人前
ソーセージ2種、合計4本
特製オギノビーフカレー400g
三元豚と北海道大豆の煮込み200g
丸鶏のコンフィ400g
フレンチ赤ワインモツ煮 200g

以上、全て真空パックにてのお渡し。
こちらに取り放題の野菜デリを4〜5種です。
使い捨てプラ容器削減のため、必ず持ち帰り用のタッパーやジップロックをお持ちください。

ご予約はウェブ予約の12月31日の欄からお申し込みお願いします。

価格:税抜き2万円

今年は去年よりトータルを増やし、100セットまで受付します!
お母さんが三が日何もしなくても良いくらいの充実の内容です。

よろしくお願いしますー。

 

軽減税率の関係で年越しラーメンできないのですが、佐々木さんにもらった米麹あるので自家製甘酒でもやろうかと思いつつ、できるか出来ないか分からないので期待しないで来て下さい。

 

2019年12月08日

賄いの会話

だいたいいつもアツイ議論が繰り広げられます。

 

今日のお題は規格外海産物。

北海道のとある漁港では水揚げの75%が海に投げられます。

たった25%しか市場に出ません。

出さないからこそ価格が維持できているとも言えます。

また、別のある地域の海産物は目的の魚以外は二束三文なんだとか。

 

おいおい、これは事情は違えど捕獲の8割山に埋められているジビエと同じ図式じゃねぇか、という事で私がいつもの悪い癖で噛み付いて白熱。

噛み付いている相手ってのが一体何なのかは自分でも毎回わかりませんが、とにかく世の中の不条理に対していつも怒っております。

野菜も魚も出荷できないという食品ロスはそれはそれは大量です。

カウントされてないので正確なデータはありません。

イタリアやフランスではこうした田畑でのロスもカウントされており、それらを有効活用する事になってますが、日本では物流、小売、飲食店などの二次、三次産業と家庭しか意識されません。

これは大きな違いです。

なぜなら、食べ物には必ず生産者がいて、生産者の段階で廃棄が大量に出ても、その痛みや悲しみを受け止める人は生産者本人しかいません。誰も知らないし、蓋をして無かったことになってます。

彼らが出荷する時にすでに規格で選抜されており、選抜されたものが運ばれ、並べられ、売られ、売れ残った作物がさらに廃棄されていく。

近代的分業が最終段階まで来ている成熟しきった消費社会の日本で、苦労して出荷した食べ物を、金で買っただけの人達が勝手な事情で捨てているのを生産者が見たらどう思うのでしょうか。

私たち料理人にしても、カネで素材を買ってきてチマッと手を加えたあと、元の値段の3倍で売っている錬金術師かイカサマ野郎と言われても仕方ない。

 

カネとはそうした数値化出来ない苦労や経験値と本質的に等価となり得るのか。

買う事で失くしたものの大きさを今こそ知るべきではないのか。

お互いが見えてないから、見えないようになっているからこそ、大量廃棄しても涼しい顔でいられるのではないだろうか。

私も野菜を作る側の人間としての視点を獲得し、景色がガラリと変わりました。

私たち都市の料理人は生産者に対して恥ずかしい仕事をしていない、と言えるだろうか。

 

 

家畜とは少し性格が違って、ジビエも海産物もざっくり言えば誰かが育てたものでなく、海の資源で山の資源です。

野菜や家畜も畑を食べている点については土からの資源、さらに遡ると水資源とも言えます。

 

最近、肉と野菜にかかりっきりでしたが魚に関しても昔シコシコやっていました。

しかし、魚業界は肉界隈同様に深いダークな世界が広がっており、一筋縄ではいかんのですが、一応昔から温めていたシャルキュトリー のようなアイデアがあるのです。

一発、やってみますか。

 

最初は誰にも相手にされなかったシャルキュトリー を10年本気でやって、デパ地下で無添加パテが買えるのが普通になり、食卓でパテを楽しんでもらえる風景を作れたと自負しています。

今では全国の飲食店様や小売店で扱ってもらって嬉しい限り。

最近は都内のレストランとかでもテイクアウトでシャルキュトリー やってますね。業界が盛り上がって食文化が豊かになるのはいいことです。

 

 

このブログを読んで、

おいおい、またまた何始めるんだ、ウチのシャチョーは…

と背筋が凍っているスタッフの顔を見るのが楽しみで仕方ない。

 

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