2018年10月21日
フードロスとはなにか?
ウチのお客さん含め、スポーツで身体を鍛える事は本来の自分、動物としての自覚を取り戻す行為であると先日書きました。
これは非常に良いことだと思ってます。
山を登ったり、自転車を漕がという二足歩行動物の原点である走るという行為から派生したスポーツをし、荒れる波にサーフボード1枚隔てることで自らの身体に自然を感じる。
アウトドアスポーツという外的な自然を感じると共に、自らの身体という内的な自然を感じているのです。
自然を感じたいからみんなスポーツをするのです。
本能として持っている部分を現代人は忘れてしまった結果、それを取り戻す行為なのです。
フードロスも同じ文脈であり、生産者が作ってくれているということ、そして命を食べてわたし達は生きているという事を忘れてしまった。
それこそがフードロスの本質です。
生きるという事は食べる事であり、食べるということは何かの犠牲の上に成り立っています。
では、それを取り戻す行為をしなくてはなりません。
これはなかなか複雑で入り組んだ問題がさまざまな方向から絡み合っていますが、本質がシンプルなだけに、答えもシンプルです。
みんなで畑をやりましょう。
小さな家庭菜園で良いし、高層タワーマンションで現実的に難しければ、ベランダにプランターを置きましょう。
そこでミニトマトやバジルを作ってください。
トマトが出来たら小麦粉でピザ生地作って、家でマルゲリータ作ってください。
もしくは中古の釣竿買って、お子さんとハゼ釣りに行って下さい。
ご飯粒でもバンバン釣れますから、食べ切れそうな分だけ釣ったら、それを持って帰って小麦粉つけて油で丸ごと揚げてください。
塩とレモン絞ってみんなで食べてください。
どんな三ッ星レストランで食べるより、旨い食事がそこにあります。
お金で買っているということは、自分が食べるものを人に作ってもらっているという事です。
要するに、他人事なのです。
自分のことなのに、他人事なのです。
畑をやりましょうというのは、
他人事を自分ごとにするという事。
これこそがフードロスの本質です。
美味しい食事を考えることは命を考える事であり、大切なのは食べ物がどうやって出来るのかを知る事です。
そして感謝すると言う事です。
もちろん、綺麗事だけでは済まされません。
そのために料理人と、家庭での料理という行為ができることはたくさんあります。
その辺りはまた次回。