2019年07月13日
後戻り
今、千駄ヶ谷で野菜売ってます。
その中に旨そうな肉厚のレタスがあるのですが、当初レタスは売る予定ではなかったのです。
佐々木さんと今回の仕入れについて連絡とるうちに、どうやら今年はレタスがものすごい勢いで出来ているとのことでした。
このタイミングでウチに送らなければそのままトラクターで土の中に鋤き込んで緑肥になる運命と知らされました。
皆さんご存知の通り、私の畑のレタスちゃんは見るも無残に精一杯の花を咲かせた後、朽ち果てて枯れました。
ムムム、オーガニックレタスは難しいぞ…と。
それを今まで何食わぬ涼しい顔で送ってくれていた農家さんに頭が下がるとともに、私が綺麗事言ってる裏でも沢山の犠牲があり、その上澄みを送ってくれているという当たり前のこと、需要と供給の押しくら饅頭の真ん中でフワフワ浮いているオーガニック農業ビジネスの難しさ。
生産と消費の距離感が広がれば広がるほどにその感覚は麻痺し、小売や物流を挟む事で溝となり断絶します。
朝採りの果物を昼に買い、夜のデザートのタルトになることを私は豊かで贅沢だと感じます。
それが豊かだと感じる私は都市文明社会に毒されて麻痺しているのかもしれません。
一般的に豊かさとは選択肢が広がる事だと定義すらならば、一体どこまであらゆる事をアウトソーシングして行けば私達都市生活者は満足を感じるのだろうか。
食べ物に限らず、自分の行動や選択が何かの犠牲の上に成り立っている事を知り、ふと大切な事に気がついた時、人は後戻りできないはず、と信じたい。