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2018年10月18日

フードロスを考える

フードロスについて色々考えながらの出勤途中に駒沢公園があるんですが、平日の昼間に美人なおねーさんたちがデーハーなウェアとメローイエローみたいなシューズに身を包み、颯爽と走っており、そのプリティなお尻を見てムフフとしていたら事故りそうになりました。

それにしても一体、彼女たちは何を求めて走っているのだろう。

 

何が不満なんですか?イケメンの彼氏がいて、大きい会社に勤めて、美人でお尻はプリティじゃないですか。

この最近の健康ブームは一体なんだ?

社会が健康なのでは無く、不健康な世の中の裏返しなのではないのか?

 

そう、それは病気みたいなもので、私も、うちの嫁さんも、ウチのスタッフも、これを読んでるヒマなあなたも、あなたの向かいのデスクの同僚さんも、今朝のスタバのバイトさんも、そして駒沢公園のプリティオケツ女子も同じ病気に罹ってます。

 

それを見てハッと気がつきました。

 

そうか、そういうことか。

この病気とフードロスは全く違うようで、同じ文脈だったのだ。

この病気には自覚症状もなく、すぐに死ぬ訳でもない。

 

しかし、それには職業別や地域別に分けて考えられ、どちらかというと都心の高層ビルのオフィスのPCでデスクワークが多い人はおそらく重症であると考えられ、例えば地方の農家さんや漁師さん、アイヌコタンに暮らす人々にこの病気にかかる人は殆ど居ないのではないか。

人間ドックのデータに検出されないだけで明らかに身体のある部分が機能不全しているからこそ、プリティオケツはグルグルと走り、ロードレーサーはローラーで喘ぎ、サーファーは荒れる海に入り、クライマーは垂直岩に取り付き、トライアスロンなんて馬鹿馬鹿しい事をやるのだろう。

完全におかしい。

逆に太って生活習慣病になって医療費を貪りフードロスを含む狂った食生活が資本主義経済を支えていたりする。

現代人は馬鹿なのだろうか。

 

 

フードロスは無くせるわけない、無理無理、結局個人の考え方でしょ、飲食店やスーパーだって資本主義経済のシステムの中に組み込まれて毎日ギリギリですよ、捨てる方がリスク低いし、食べ物捨てたくないけど、そうは言いつつも機会損失はなるべく避けたいしね。

フードロスに処方箋なしと半ば諦めモードでしたが、その考えが変わったのです。

フードロスもこの病気が原因なのだと。

この現代人の大半が侵されている病気を治せば良いんじゃないか。

 

ターブルオギノでやっていることは、西洋医学的対症療法に過ぎません。

東洋医学的根本治療の考えから、症状で無く原因にアプローチする。

 

ああ、そういうことか。

実現可能性が、一気に見えて来た気がする。

 

この病気についてはまた今度。