2020年07月12日

海に来るご家族の皆さんへ

今年は湘南のビーチは海水浴場として稼働しません。

そうなると、何が問題かと言えば海の家が無いからご飯が面倒、というのは大した問題ではありません。

辻堂なら湘南ターブルがありますので是非。

 

問題はそこではなく

 

 

先日、梅雨の晴れ間に海に入りました。

ちびっ子たちもたくさんいて、その家族もいて、テントやパラソル立てて楽しんでました。

その日は梅雨前線の影響が残り、風が強くて波はまとまりが無く、荒れてました。

1ラウンド終えて私が沖から浜に帰る為にパドリングしてました。

そしたら浜から少し沖に出たところで顔だけ出した小学生くらいの男の子が浮かんでいて、打ち寄せる波に揉まれており、もしや、と思って近くまで行くと、やはり溺れる寸前でした。

そこはカレントと言って、浜に打ち寄せた波が沖に戻る流れがあり、サーファーはカレントを見極めて沖にでるのですが、素人には絶対に分からず、足が付かなくなった瞬間に流されます。

特に潮が引いている時は一気に海底が掘れて深くなるので、あっという間に流されます。

 

大丈夫か?

と、声かけると

無理!ダメ!

との必死の声に私のサーフボードに引き上げて浜まで連れて帰りました。

相当水を飲んだようで、グロッキーです。

意識はあるので、親の居場所を尋ね、身体を抱えて両親のいるテントまで担いで行ったら、何家族かでバーベキューで盛り上がっており、誰も子供が海で溺れているとは思ってなかったようでした。

 

あと5分助けるのが遅ければ手遅れだったと思います。

 

と、酒飲んで真っ赤な顔したお母さんに伝えました。

 

子供を海に入れるとき、もしくは一人で入ってしまうようなシチュエーションの場合は絶対に目を離さないで下さい。

 

今年は海の家がないということは、ライフセーバーが居ないという事です。

ライフセーバーが居ない海で子供が溺れれば確実に死にます。

 

今年はコロナでプールも自粛傾向なので海に人が流れると思います。

子供に海の怖さを教えて下さい。

再訂正

 

 

すいません、これ、明日13日発売でした。

7月20日号が13日に発売というのが分かりにくいですね。

 

現物が自宅に来てました。

これは恥ずかしい内容満載。

 

しかし、嘘も飾りも無いありのままの私の半生が書かれてます。

 

コンビニにも売ってますから、是非パラパラして下さい。

 

 

2020年07月11日

訂正します。

 

おおおお、こんな仕上がりなんですか。

 

原稿は見てませんが、表紙は山梨県の某所に行ったときの写真ですね。

ゲラは私も初めて見ました。

 

アエラの記事は1週間延びて、20日発売みたいです。

 

 

 

敗北宣言

 

この長雨。

どうしろと言うのですか。

オーガニックで畑やるってのは、そんなに簡単なことでは無いです。

オーガニックの野菜が慣行よりも値段高いのは何故か、それはやってみればわかります。

とにかく雑草との戦いは壮絶。

私みたいに週一で行けるかどうかでやってる人間は工夫しないとこうなります。

雑草が日光とミネラル奪ってサツマイモの蔓が伸びません。

化石資源使わない理想に燃えて、塩ビマルチするのを避けてましたが、次は必ずやろうと心に誓ったのでした。

 

その代わり、土は多様性がありすぎて凄いことになってます。

 

 

 

根性が曲がった人間が野菜を作ると野菜も曲がるんでしょうか。

畝をキチンと立てたつもりが、ちゃんと耕せて無かったようで、土がまだ硬い部分を大根センサーがちゃんと察知してあらぬ方向へ進んだ結果、こんな大根が出来ました。

 

枝豆は今までで最高の出来。

在来種よりもF1の方が育てやすい気がします。

 

 

 

 

2020年07月08日

13日にAERA出ます。

今年の頭から約半年間、密着取材受けていました。

AERAの現代の肖像という創刊以来のドキュメンタリー連載に私の記事が6ページ出ます。

 

これは今までよく載せてもらっていた料理系などの掲載記事とは異なり、事前に校正などはなく、私自身もどんな事が書かれているのか知らされてないんです。

あくまでも私は単なる取材対象であって、記事の中身を私が口出しする立場になく、私が一体どういう人間なのかをジャーナリスト奥野さんの独立した視点で書かれています。

 

校正無しということは、私の都合の悪いことや書かないで欲しい事を世に出る前に修正していないという事で、プロレスではなくガチンコということです。

 

戦々恐々ですが、こうなったら仕方ない。

何が書かれていたとしても、ありのままでやっていくしかないですね。

 

2020年07月04日

カレー沼

今日、用事があって伊勢原に行きました。

 

そこで、そのスジでは有名な某カレー屋さんがたまたま出店してて、勉強のために食べてみることにしました。

 

こ、こ、これは…

旨い…旨すぎる…

 

久しぶりに頭をピッケルの尖った方で思いっきりブン殴られて突き刺さり、脳味噌飛び出たような衝撃が走りました。

 

こんな衝撃はマラケシュでタジンを食べた以来のインパクト。

付け合わせから何からマジで凄すぎてしばし放心。

このカレーのまず素晴らしい所は、材料全てがオーガニックな所です。

オーガニックと旨いは必ずしもイコールにならない事があります。旨いものは時に身体には良くないモノがあったりするものです。

しかし、そのカレーは隙のない完璧な仕上がりで、スパイスも挽き立てらしいフレッシュな香りが立ち上り、アルベルト・コンタドールみたいな長くてガッシリした背骨のような出汁の効いたカレーでした。

 

ジャンルとしてはインドカレーになるんでしょうけど、こんなカレーを食べさせられた私は嫉妬を超えた敗北感に打ちひしがれ、わざとルウを余らせて持ち帰り、もう一度夕飯に食べて感動を再体験し、今度は、おお、コリャすげえ、と言ってるだけではなく、一体どういうベースでどんなスパイスでどういう煮込み方をしたのかという味の構造を舌と頭で考えるのです。

 

なんという事だ、自分のカレーは完成したと思ってましたが、まだまだ旨くなるんだ、なんと奥が深いんだろう…

 

これはもっと研究しなくてはならないぞ、と。

極めたいテーマがまた一つ増えました。簡単に死ねませんね。

 

店名は悔しいので控えます。

 

2020年07月03日

ふざけるな!

何やら変な袋がキッチンに持ち込まれて、まだ食べられるはずの残飯がその袋に入れられているのを真横で見ていたウチのウィーちゃんが

ふざけるな!

それは俺が食うんだ!

と、申しておりまして、コンポスト犬の真髄を見た気がしました。

 

 

犬って、スイカの皮食べるんですね。

 

私たちがスイカを食べいると我慢できないようで無駄に吠えるようになってしまいました。

 

スイカって、コンポストにするには水分多いんですよね。

ウチのスイカは無農薬スイカなので与えられるんですけど。

 

2020年07月02日

やっと納得の出来栄え

 

当たり前ですが、自分が食べるパンは自分で焼いてます。

店のパンはライ麦入れた食事パンですが、これは国産オーガニックの地粉オンリーです。

白神こだま酵母を気に入って使ってますが、天然酵母の沼にもそろそろ浸かってみようかと。

本当は色んな小麦を自分で栽培して粉を挽く所からやらないとダメです。

 

基本的に教科書通りにやるのが嫌な人間で、こうしろああしろと言われるのがなによりもダメ、物事を疑ってかかるルサンチマン野郎が私。

 

とりあえず時間は掛かっても良いので、何事も自分なりのコツを掴むまでひたすらトライアンドエラーするのが私流です。

サーフィンはとにかく海に行って上手い人の真似をする、トライアスロンもスクールやチーム練習には一度も参加せず、クライミングも自己流、狩猟もシカの気持ちをひたすら考えて考え抜く事で鹿の行動が読めるようになっていきます。

そういうのを一言で言い表すと、コツを掴む、という事なのでしょう。

今はなんでもネットからヒントは貰えますけど、ネットに答えやコツなんて無いのです。

 

このカンパーニュもアレコレ試行錯誤をしてやっと完成したような気がします。

 

店が再開したらコレでいきますけど、更に進化していると思います。

2020年07月01日

間が空いてしまいましたね。

生きてるのか?

と、お問い合わせありがとうございます。

 

とりあえず生きてますが、ターブルオギノの営業マンとしていろんな所を飛び回る毎日で、今更厨房に戻って料理感覚が戻るのか不安になるくらい休業してます。

自粛が明けて再開するお店が多い中、今月も休業する気マンマンのoginoです。

やりたいんですよ、本当は。

でも、違うんですよ、今の不安定な状況でレストランを開ける気にならないってだけの話です。

何度も書いてますが、レストランてのは3密だから良い場所であって、密な空間こそがレストランの醍醐味で、密を避ける営業スタイルとか生活様式ってのをレストランに無理やり当て嵌めるというのがどうにも私には無理なんです。

 

レストラン料理を愛しているからこそ、やらないという選択をします。

 

とはいえ、何もせずに土いじりしてるだけでは丘サーファーならぬ丘コックですので、原点に立ち返り病的なまでの料理ヲタクっぷりを発揮してステイホームの家庭料理にトコトン寄り添うSNSをやろうと思います。

もはや趣味の世界ですが、そもそもレストランだって儲けよりも趣味的なモノでしたから、それがオンラインの飛び道具になるというだけの話です。

もちろん、いつかレストランが再開した時には、これぞという特選品を食べてもらえる日を待ち望みながらですけどね。

 

 

 

 

2020年06月22日

父の日。

父の日ってのは、目立たない存在であっても無くてもあんまり影響のないイベントです。

クリスマス、バレンタイン、母の日というのは田園都市線で言うところの渋谷、三軒茶屋、二子玉川みたいなビックターミナル。

それに比べて、急行列車から見たら一瞬で通り過ぎてしまう桜新町がホワイトデー、駒沢大学がハロウィン、池尻大橋が父の日です。

お客さんのモチベーション上げるための仕組みでしょう。

 

母の日はカーネーションですが、父の日は何が貰えるのでしょう。

別に欲しいものもないんですが、前々から買うかどうか家族会議の議題に何度も何度も上って私のケチ根性で渋っていたモノを買うことにしました。

何か踏ん切りつけないと買わないものってのは、必要のないものです。

 

 

 

コンポストです。

こんなカバンみたいな形してますが、再生素材で作られており、中には堆肥の基となる素材が入ってます。

 

ここに生ゴミをボンボン入れて混ぜていくわけです。

ジッパーは匂いや水分を出さない構造になっており、虫が寄ってきたり臭くなることはありません。

ウチはチビが2頭いるので外食は無く、米も玄米を精米しているので米糠も出ます。

基本なんでも食べる残飯処理犬もいるのですが、犬も食べないバナナの皮とかコーヒーのカスとかそういう最終的な生ゴミがここに入ります。

畑は自宅から遠いので、とりあえずここで堆肥にして駐車場に置いてあるプランターハーブの肥料にしたり、入りきらないものは畑で肥料になります。

 

生産、料理、消費という貨幣循環で物事を捉えてましたが、それは環境サイクルとはならず上から下に流れるだけであり、土壌も環境も擦り減るばかり、流行り言葉で言うとサステナブルでない。

そこで循環するのはお金だけ。

経済活動からポッカリ抜け落ちているものが何なのかを考えれば、サイクルとして完成します。

分解という概念は経済活動としては効率が悪いのでお金になりにくい。

金を稼ぐために作り過ぎたが故に生まれるゴミも有れば、それまでゴミでは無く肥料という資源だったけれど都市生活が当たり前になって田畑が日々の営みから遠くなれば肥料にすることも考えなくなり、ただのゴミとなり、金で買った石油をガンガン使って温室ガス出しながら燃やしています。

 

この考え方を突き詰めて行った先にはトイレすらも要らない美しい環境サイクルが実現するでしょう、アウトドアウンコ万歳!と言ったらまた叱られるのでしょうか。

 

こういう物を金を出して買っている時点で文明や都市に依存した生活に毒されているという事を認めざるを得ないのが悔しい。

本当は庭や畑が家の横にあり、その隅っこに掘った穴にこういうものはポイポイ捨てたり、積極的に脱糞して畑に還すことが出来る生活をしないといけないのです。

ウチの親父さぁ、雨の日以外トイレでウンコしないんだよなぁ、スゲェよな今時。

と子供に言われるようにならないとダメだな、と思った父の日でした。

 

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