2018年11月09日
日付変わって
昨日は合計で450キロ走りましたね。
伊豆半島の先っぽ、下田まで行ってイノシシの罠師さんに会ってきました。
天城峠を超えると農薬使わない農業になるから、イノシシがたくさん出るのだそうです。
イノシシは本能的に旨いモノ、安全なモノを知ってるということか…
地方と都市には、当たり前ですが需要と供給の密接な相互関係があります。
なので地元に需要は多くないですが観光地だけあってホテルは多く、東京から来たコックさんがシェフをやっているところもあるのだとか。
伊豆食材を伊豆で食べられることは観光地としてはいいじゃない。
しかし、そのホテルでは瓜坊という、一歳未満の子猪しか使わないんだと。
個体も小さいし、そんなに獲れないから罠師の売り上げ的には小さい。
うーん。
罠師は残念がるけれど、ホテルはホテルで個体差激しいものは何かとリスクも事情もあり、なかなか使えないってのも充分理解出来ます。
でもね。
話を聞けば聞くほどに、そこからもう一歩踏み込んで、横のつながり紹介するとか、色んな加工法を教えるとか、東京の料理人が求める捌き方やバラし方を共有するとか、コミュニケーションの仕方は色々あるのだと思うのですよ。
使う使わない、ってのは自由でいいんですけど、
生産者<料理人ではないはず。
高いとか安い、使える使えない、良い悪いではなく、それはおよそお金の価値では計ることのできない事として、例えば土地の縁とか、いい意味での貸し借りとか、バーター的なやりとりとか、そういうのが都市で薄れてしまった地方の価値観じゃないのかな。
怒られそうだけど、料理は所詮加工による付加価値ってだけなの話なので、加工する素材が無ければそこに意味は成さないって事をもうちょい知るべきだ。
人が手を出さないような素材を加工して付加価値つけられる方が、多くの未来や可能性を産むような気がするのは私だけだろうか。
それこそが素材を作ったりとったり出来ない料理人の唯一の価値だと思う。
そういう意味で、料理人は生産者と一連托生と考えなくてはいけないはず。
私はそう信じたいのです。
その罠師は猟友会取りまとめて捌き方を統一し、流通を集約して東京に出荷、その売り上げと削減される農作物被害額をキチンと計算して未来の設備投資まで考えてます。
こういう時こそ、料理人が一緒になって学び、成長するチャンス。
やっぱり、現場まで行って良かった。