2019年06月19日

ナスが来たよ、

基本的に農家さんから来た野菜しか使いませんので、オオゼキに旨そうなナスがあっても見て見ないふりしてます。

 

今年も高知県からナスが来ました。

藤沢あたりは出来て来てますが、まだ収穫には早いみたいですね。

うちの畑のナスは実を付けずに不気味に沈黙してます。

 

青ナスという名前の完全に緑色のナスですが、信号機は完全に緑だけど青信号、インゲンとかほうれん草とかの青物と言われる野菜は全て緑色ですし、青い食べ物といえばブルーハワイかき氷しかしりませんが、青ナスと言われれば青ナスなのです。

安倍さんがカラスは白いよね、といえばこの国ではカラスは白いのです。

こういう事ばかり言ってるから人から嫌われるんでしょうね。

 

ナスは私の好きな野菜上位です。

なんか、セクシーですよね。黒光りする皮とか男らしく屹立したフォルム、何より味も良いし、料理バリエーションが豊富。

大阪の水ナスとかもおいしいですよね。

水ナスのためだけに泉佐野市の農家さんに逢いに行ったこともあります。

 

さて、青ナスは油で揚げてビネガーでマリネ、ソースはビーツと梅干しのソース。

ナスは冷やしておいて仕上げに薄切りしてバーナーで炙ったホタテを乗せます。

どうしても生で食べてもらいたい小かぶが青森の成田さんから送られて来たのでそれも添えます。

 

ネットフリックスをスタッフから勧められてアランパッサールのドキュメンタリーを観ました。

素晴らしい内容です。

それにしてもあの素晴らしい思想哲学を実践している弟子がいないのは何故だろう。

この話はまた別の機会に詳しく書きたいと思います。

2019年06月18日

暇な中年のオッサンなわたし

昨日今日は辻堂をホームとするオッサンが集まってサーフィン三昧。

昨日は腰から胸、セットで肩。

今日はモモから腰、セットで腹って感じです。

オッサンにはこのくらいがちょうどいい。

波が良い日は連絡取り合わなくても海の上で会えるのがオッサンサーファーの集まりです。そのあとはサーフショップでグダグダするのがお決まりのパターン。

オッサンはサーフィンするとハンバーガーと炭酸飲料が欲しくなります。

 

その後疲れたオッサンの私は昼寝して畑仕事です。

オッサンは基本的に心が汚れているので綺麗な花とか盆栽とか畑が好き。

オッサンが植えたズッキーニが収穫間近です。

とうもろこし順調。

カボチャはズッキーニの仲間なので、葉っぱもおんなしような感じです。

同じ畝の他のタネはイマイチなのでもう一回蒔き直し。

とうもろこし、枝豆も順調。

今日オッサンが蒔いた大豆は時間差で種まいて大豆になるまで育てて味噌でも作ろうかと。

 

収穫したニンニクの後にはウチのチビの主食であるサツマイモを植えました。

ナスが雨降らないからかイマイチ元気がないんだよなあ。

 

本当に知らないことだらけで、そのまま20年もダラダラ料理人やってて恥ずかしくなります。

2019年06月16日

トライアスロンとは何か

今夜のディナー、某ッポンギ様ご来店され、

さっき、レースでサクッと優勝してきたわ。ぐへへ。

と、サラッと言ってました。

何という爽やかさ。

余裕のよっちゃんイカとはこの事か。

某氏にとって自転車ロードレースとは一体どういうものなのだろう。

おそらく他者に勝つための勝負であり、身体と自転車という機材を使ったゲームでの勝利の美酒の味なのでしょう。

ゲ、ゲームとな…

 

畑は少し違いますが、私にとってのトライアスロンとは、3.8キロのスイムで使い物にならなくなった上腕二頭筋であり、180キロのバイクで引き攣るフクラハギであり、最後のフルマラソンの20キロすぎ辺りでおかしくなった内臓から吐き出される大量の胃液と未消化のかんころ餅の味なのです。

そう、私にとってのトライアスロンとは他者に勝つというものではなく、自分をイジメて痛めつけて死にそうだと弱さを実感し、ヨダレと胃液が混じったスポーツドリンクを吐き続け、神聖なギロッポンジャージを鼻血まみれのゲロまみれにし、酸っぱいオイニーを撒き散らしながらおんなじペースっぽいオジサンと傷を舐めあいながらお互いを慰めながら走るという超カッコ悪いプロセスに全てが詰まっている。

だとすると、今年こそ更に深く経験したいので、よもや練習なんてしたしまったらせっかくの苦しみが緩和されてしまうではないか、ぶっつけ本番すればあの地獄のような苦しみをより深く味わえるのではないのか。

そのために積極的に練習を拒否し、なまりになまっただらしない肉体と精神で臨んでこそトライアスロンの厳しさや苦しみを理解できるはずなのです。

この境地に達するまで10年もかかりました。

10年もすればベテランの域に入るでしょう。何でこんな大切な事に気がつかずにすき家の鰻丼食べるためにヒーコラ自転車漕いで調子に乗っていたのか。練習したら負けなんですよ。

すでに3年連続リタイヤという不名誉を晒して、これ以上怖いものなど何もなく、お客さんも家族も誰も応援などしてくれず、またどうせリタイヤでしょ、時間と金と無駄な体力使ってやる意味がわからない、何でそんなことやるの?馬鹿なの?家族やスタッフが可哀想だ、などと思われているじゃなかろうか、そんな孤立無援に身を置き、さらにとんでもなくツライ状況で完走したらどんな感動が待っているのだろう。

今までで一番苦しくて死にそうで辛かった。

という有終の美を飾りたい。

 

隠れてコソコソ練習してると思われるのも癪なので去年のレース後から今日までの通算練習量は

スイム 0m

バイク 100キロ弱

ラン 25キロ弱

一週間ではなく、約1年間の練習量です。

 

なめてんのか?

とのご意見はごもっともです。

私はトライアスロンをなめてないのです。

トライアスロンを愛するからこそ、練習して身体を鍛えて万全の状態ではなく、真逆の状態で完走し、その本質である圧倒的な苦しみと自己とのせめぎ合いを制したい。

それこそが根性試しとしてのルーツを持つトライアスロンというスポーツの本質ではないのか。

練習してしまったら身体が強くなって余裕のよっちゃんで走れてしまうではないですか。

それではあまりにももったいない。

だから、私は練習に逃げず、練習という精神安定剤を使わず、地脚と基礎体力だけで真っ向からタイマン勝負です。

そんな哲学こそが真の意味でのトライアスロン選手のあるべき姿だ!

こんなに練習やったぞアピールは邪道である!

五島の大会なのに宮古島大会の完走Tシャツ着て会場入りするのは何アピールだ!

そんな奴はトライアスロンの本質から逃げている!誠にけしからん!

と、一分の隙もないロジカルな言い訳して明日は波が相当デカイので、チーム辻堂で朝からサーフィン三昧してきます。

 

スズキのパイ

来週末、22日23日のディナーにスズキパイコースやります。

 

前菜を二皿召し上がって頂き、バシッと焼いたスズキのパイをガッツリと食べて下さい。

これにデザート付いて4800円です。

 

 

ホタテを粉砕し、バターと卵、生クリームを繋いでスズキで巻き込みます。

ボキューズオリジナルはオマールのムースですが、ホタテのムッチリ感が好きなのと、オマールの価格も反映される事も考慮してホタテオンリーです。

魚の形にして1匹丸ごと焼き上げるのがオリジナルですが、それだと無駄も多く、焼きたてを提供できない、そして置いている間に水分が出てしまいます。

ビジュアルより何よりも旨さ最優先として小さく一人前づつ包み焼き上げます。

ショロンソースほどこの料理合うソースは見つかりません。

王道とは長い年月かけて結果的にそうなったものであり、それを超えるものが見つからないからこそ王道として君臨しているのです。

 

この料理はソースの作り置きや下準備ができないので、メインに選択肢設けた通常営業ではなかなか出せない料理でして、こういう形でイベントとして組まないと提供しにくい料理です。

この料理を毎年楽しみにしてくださる方も多いので、是非ともこの機会にお越しくださいませ。

おっと

今日は父の日なんですね。

 

まさか自分が父の日にありがとうを言われる日が来るとは。

 

好き勝手やってるだけなんですけども。

レタスサラダ

私の畑のレタスは食べることなく朽ち果てました。

レタスとしてみれば、一花咲かせてやったぜくらいのことでしょうが、私的には青々としたその肉厚な葉っぱをムシャムシャと食べたかった。

どうやら肥料がないと生育悪いらしく、とにかく時間ばかりかかって大きくならない。

挙句には真ん中から軸をピシャーと伸ばして綺麗な花を見せ、私のレタスはその短い生涯を閉じました。

 

佐々木さんのレタスはなんて美味しそうなのだろうか。

10日も冷蔵庫に入れておいてもピンピンしており、冷水に放つとさらに輝きを増します。

無農薬無肥料でどうやったらこうなるのか。

気候は明らかに藤沢の方がアドバンテージ。

土が違うのか?

いや、環境ではなく作り手の問題。

圧倒的な経験と知識の違いを見せつけられました。

そんな、仲間に対する柔らかな嫉妬心。

 

同じ土から出来たビーツをピュレにしてオカンの梅干しで味付けしたドレッシングで前菜にします。

チーズとミモザ、魚介も少し添えます。

 

 

 

2019年06月15日

梅でも漬けてみるか

梅干しはオカンから送ってもらうので、私は梅の砂糖漬けでもやりますか。

フランス料理に梅ってタブーみたいになってますけど、別に私はなんとも思わない。

言ってみれば、モロッコのレモンの塩漬けみたいなもんです。

夏には梅のグラニテを出せるかも。

 

今は亡き、オヤジと呼んでいた私の師匠の櫻井というオッサンはなんでも手作り、物事の本質を知るべしがモットーなので梅干しや梅シロップの手作りは当たり前、梅も公園とか山に拾いに行かされました。

時効だから告白しますけど、スモークサーモンに使う桜の木もノコギリ持たされて夜中の公園で切らされました。

それを乾燥させてペティナイフでチップに削るのです。出来上がったスモークサーモンの薫香たるや、ただのサクラチップとは別物です。未だに忘れられません。

他にも旨いトウモロコシは夜明け前に収穫したものでなくてはならないという事で夜中の3時から農家さんのお手伝いして規格外品を安く分けてもらって来いと言われ、

賄いでウドンを買うのはご法度の手打ちが当たり前

味噌も手前味噌で赤味噌と白味噌を常備し

キムチやカクテキは手作り上等

漬物の糠床は休みの日は家に持って帰らされて朝晩混ぜて管理しろ、糠が足りなければ玄米精米してこい。

 

 

そんなことばかりやらされてフランス料理なんてほとんど教えてもらわなかった私の小僧時代ですが、あの頃のオヤジの思想が今になって身に染みて理解出来ます。

 

料理という文化を心から愛した生粋の料理人で、ヲタクの域を超越した仙人みたいな人でした。

オヤジを超える思想を持った料理人に出会ったことが無いです。おそらくこの先もあのオヤジを超える人はいないのです。

私はオヤジを超えたくて、日々もがいてます。多分、鼻で笑われるでしょうけども。

私の料理を食べることなく死んでしまって何年も経つけれど、私は料理を作るとき、櫻井さんはこの料理をいい料理だ、旨い料理だな、と言ってくれるだろうか、といつも心のどこかで考えてます。

料理に関して人の意見や感想なんてどうでもいいと思ってますが、オヤジだけは別です。

そのオヤジの思想を自分なりに解釈し、さらに上流に遡って畑や山から料理を考えるという事に辿り着きました。

そういう意味で私のオヤジはまだ死んでない。

 

 

知識はスマホでなんでも手に入りますが、知恵とか工夫というのは自分で試行錯誤しないと身になりません。

生きた知恵をつければ余計な道具や買い物なんてしなくても何とかなります。

ウチの若い奴らには身になる知恵をつけてもらいたいです。

 

 

久しぶりに

リドボーのロッシーニやります。

 

この料理の構成要素には欠かせない食材が1つあります。

フォアグラやリドボーが適切に調理されるのは当たり前として、旨いジャガイモがなくては成り立たないのです。

 

牛ヒレのロッシーニは分かりやすいリッチな料理として巷に溢れておりますが、実はそのほとんどにおいて、ある大切な構成要素がすっ飛ばされてます。

ロッシーニとは牛ヒレとフォアグラを受け止めるブリオッシュのトーストが一番下になければロッシーニではない。

 

リドボーのロッシーニという料理は古典にはありません。とある地方のレストランで出されているスペシャリテですが、あまり知られて居ません。

鴨のフォアグラ、子牛の胸腺、ジャガイモ、トリュフという土と草原のテロワールがバッチリ効いた素晴らしい料理です。

 

 

シビレとして角切りの良く焼きで食べられる事の多くなったリドボーですが、フランス料理的に下ゆでとプレスで下処理した味わいは焼肉のそれとは全く違う事がお分かりになるはずです。

良し悪しではなく、アプローチの違いです。

 

ムニムニ系のフォアグラとリドボーをバシッとソテー、去年から土に埋めてでんぷん質がマックスのジャガイモソテーして添えます。

トリュフのソースはあくまでもまとめ役ですが、やはりこの三種の食材が合わさった時の絶妙なバランスはなかなか文字では伝わりません。

ブリオッシュやジャガイモという炭水化物を添えることで料理としての完成度が全く違ってくるのがロッシーニという料理なのです。

2019年06月14日

おおお

久しぶりに熊肉食べましたが、イメージしていた熊肉とは異なり、かなり優しい。

悪い言い方すれば物足りない。

 

 

 

メソッドとして確立しているフランス料理の性格上、どうしても赤ワイン煮込みの基準となるのが牛肉ですが、それと比べて肉の味わいが濃いものの、熊肉と言われなければわからないほど癖や臭みがない。

コレ、熊なんですよ、北海道の羆なんですよ、癖がなくて旨いですよね

というのは、

よく聞くセリフで

この菓子は甘くなくて美味しい

というのに似ています。

青首鴨は嫌いだけど、ビュルゴーの鴨は美味しいと言ってるのと同じです。

熊の味がしなくて美味しい、というより

おおお、コレが熊だ、これだよこれ、この独特の匂いがやっぱ熊だよね

というのが正解です。

ちゃんと熊を食べたことが無ければ、一度体験しなくては何も始まりません。経験が無ければ比べる対象が無いからです。

 

今時期だからなのか脂もギットリではなくスジがゼラチンに変わってしっとりとしています。

首肉と肩肉という焼いても食べられない硬い筋肉だからでしょう。

 

肉にパワーが足りないのでソースに破壊力をもたせます。

 

それにしても、これから梅雨と夏になるのに、こんなギトギトな煮込みが出るのだろうか。

とりあえず美人ボンテージ女医さんや、最近出席率悪いサザエさんあたりに押し売り決定。

現在煮込んでますが、なかなか柔らかくなりませんね。

 

月の輪熊や羆は狩猟対象として狩猟期間中はハンターの獲物となり、それ以外の期間も捕獲資格のあるハンターによって捕獲されてます。

 

アイヌでは熊は神とされており、頭と心臓は神棚にあげておくそうです。

心臓には独特の切り込みを入れます。

鹿も地方によっては神の使いとされてますね。こういうアニミズム思想が私は大好きです。

 

神を食うのか、と言われれば答えに困りますが、理屈としては食べるべきだと思います。

先日、動物愛護管理法が改正され、犬猫などの愛玩動物に対する扱いが厳しくなりました。

それは逆の見方からするとハンター達に対しての誤解や偏見を生む土壌になるのではないか。

ペットは手厚く管理保護することが家畜への無関心や狩猟対象に対する薄っぺらい動物愛護思想を押し付けられることを助長する気がしてなりません。

守られる生き物がいる一方で狩られる対象として見なされる動物や家畜として生きている動物の気持ちは一体どういうものなのか。

彼らにしてみれば保護対象か愛玩動物か経済動物か害獣かと勝手に線引きされ、例えば狩られる害獣側の心理としては、本質的に自然環境と生態系を維持改善していくつもりならば駆除する動物は私達ではありませんね、その動物をそっと教えますからそちらをお願いしますよ旦那、とでも言われそうな気がします。

それが熊であっても魚であってもシカであっても私達に出来る事の原点は食べられるだけを頂いて、残さず美味しく食べる一生懸命さであると考えます。

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