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2020年05月25日

荻田さんとの対談記事

全く異ジャンルの人と話すと、自分の思考や思想が研ぎ澄まされます。

私が面白そうな人だなぁ、会って話してみたいなぁ、という人には大体今までお話しする機会が得られました。

自然栽培農家、アイヌの人々、マタギ猟師、罠師、サバイバル登山家、そして冒険家。

 

荻田さんは世界的にも珍しい北極専門の冒険家です。

なぜ北極なんですか?

というのは愚問です。

そんなこと聞いても北極の魅力は本人にしかわかりませんし、言葉で語れないから毎年行くのです。

なんで和食じゃなくてフランス料理なんですか?という質問されると言葉に詰まってしまいます。

全く異ジャンルの2人が対談して話が噛み合うのかという心配はありませんでした。

冒険と料理、私の中で共通する課題があると感じていた事を荻田さんに聞いてみたかった。

Googleアースで地球の隅々まで画面上で見ることが出来、エベレストは観光登山になり、未開の地という概念がなくなった現在だからこそ、冒険という行為の意味合いは逆に強い。

新しい料理の発見は新しい天体を発見するより難しいと言われる料理界において、我々料理を表現のツールとしている者は、この先何を目指すのか。

冒険も料理も空白地帯など存在せず、あらゆるモノコトがやり尽くされた冒険と料理という既に手垢にまみれてしまった世界に新たな価値をみつけられるのか。

ということです。

 

荻田さんは北極というフィールドのおいて、従来の概念とは距離を置いて無補給徒歩、手作りのソリ、手作りの毛皮服など、最新装備に頼らず自作することで、人間と自然との間に邪魔している文明を一枚一枚剥ぎ取って、より厳しく深く一匹の人間として氷の大地に挑んでいます。

私の場合、自分が生態系の支配者として料理をするのではなく、鹿や猪をこの手で撃ち殺し、畑を耕し、微生物やバクテリアの力を借りながら料理をする事でエコシステムの中に少しでも入っていきたいと考えるようになりました。

荻田さんと私はほぼ同年齢、やはり足りないものがなんなのかわからなかった世代なのです。

かたや北極で顔面凍傷にしたり白熊に襲われないとわからないことがあるし、かたや登山者に白い目でみられながら射殺した血塗れの鹿を担ぎ下ろす事をしないとわからないことがこの世にはまだまだあるのです。

 

だからこそ、世界は美しい。

 

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