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2020年03月05日

こんな時は

コロナの影響で仕事してもアレなので鹿でも追いかけます。

 

山梨県いつもの某所。

場所は縄張りの関係上明かせません。

ネットが普通の世の中、なんでもかんでもネットで情報が手に入りますが、狩猟に関する情報はほぼ出てきません。

出てくるとすれば、場所不明な猟犬との狩猟動画か免許の取り方くらいなもので、驚くほど情報が少なく、全貌は闇のヴェールに包まれてます。

特に大物猟は皆無、逆に画像なんて出そうものなら、花巻の猟友会のように血塗れの獲物たちと記念写真で大炎上、動物愛護主義者だけでなく、ごく一般の方々からとんでもない攻撃を受けるでしょう。

日本では血は不浄のものとされ忌み嫌われてきた歴史が厳然と残っている事を思い知らされます。特に分業化が成熟し尽くした現代では動物が肉になる時に血が流れることすらも蓋をされて無かった事にしないと経済として回らなくなっています。

その界隈と真っ向勝負してもそもそも意見が交わるどころか議論にもなりませんから、私は個人として取り組むべきテーマとして狩猟は突き詰めたい。

今回は某メディアの密着取材でカメラマンやライターさんも一緒に山に入ったのですが、登山道ではない山を歩き回るというのはなかなか難しいようです。

日の出から山に入って、10時ごろには私以外ヘロヘロで下山することになりました。

登山道がないと言っても、人間用に作られた階段や道がないだけの話で、獣たちはキチンと自分たちが安全にトラバースできるルートを知っています。

その獣道を辿って行くと上手く山から山へと抜けていくことが出来、そのため罠師はこの獣道の交差するポイントや足の置き方を足跡を読み切って罠を掛けます。

もし、道に迷って遭難しそうになれば、下に流れている獣道を辿れば出会い沢や麓に繋がっていることが多く、焦って下手に岩壁を懸垂下降して怪我するリスクとるよりも、その周りにロープを持たない大型獣が降りられる道が必ず存在します。

足跡の大きさから年齢や体重を推測したり、方向や数によって麓に何頭降りたから夕方に戻ってくる時を狙って獣道を見下ろせる場所で待ち伏せしたりと、射撃技術だけではない獣との知恵比べこそが狩猟の本質なのではないかと思うようになりました。

鹿なのか猪か狸か熊か兎なのか、それぞれの生態には微妙な違いがあり、足の運び方や使う獣道も変わります。

例えば兎は痕跡にフェイクを使って敵を欺きます。足跡付けた方向から一旦元の場所に戻って真逆の方向に大きく飛んで寝ぐらに入ります。そうして雪に残る自分の足跡から寝ている場所をキツネなどに悟られないようにするのです。毛色も雪の降る地域では白く生え変わり、降らない地域では茶色の冬毛のままです。

様々な獣が残す足跡や糞の鮮度からも沢山の情報を読みとります。

これは山に通って実際に現場で体験して考えないと経験値は上がらず、たとえその日に獲物がとれなくても山は色々なことを教えてくれます。

 

畑同様に自然相手の狩猟は人間の都合良い解釈が答えではなく、答えそのものが何かすらも分かっていません。だからこそ楽しく奥が深いのですが、土や血を不潔と見做し、土から離れれば離れるほど人間は動物としての存在や役割、機能も手放してしまったように思えて仕方がないのです。

 

ヘロヘロのお二人を連れて山梨だけにほうとう食べながら狩猟に関する取材を受けました。

 

山梨県は土壌が豊かで何を植えても育ったようで、野菜は種類豊富な上に山からの恵みもあり、キノコや山菜がたっぷり入ったほうとうが名物になったようです。

昔の山梨の家庭にはホウトウを作る機材も当たり前にあり、地元で採れた小麦でホウトウを作っていたようですが、最近は買うほうが良いようです。

近々、賄いでホウトウをやってみようと思います。