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2019年08月03日

薄っぺらい料理

例えば、具沢山サラダを作るとしてテリーヌやハムを仕込んだとする。

それぞれはそれなりに良い味わいと仕上がりだったとして、

サラダ菜は農家直送のオーガニックでクオリティがその辺の葉っぱとは明らかに別モノで、それ自体に圧倒的なパワーがある場合、ともすると一体何を食べさせたい料理なのかがボヤける。

シャルキュトリー を食べさせる一皿ならば、テリーヌは厚みと存在感、完成された味わいが必要だけれども、葉っぱを食べさせるサラダなのであれば薄く何枚も切って旨味として添えるべきだろう。

 

ボリュームサラダ的にそこに卵をトッピングで載せたい。

チーズかけたらもっと美味しくなるかも。

さぁ、どんな卵を載せるのだ?

なんのチーズを載せるのか?

固茹で卵をくし切りにするのか、半熟卵のトロリとしたところを葉っぱに絡めてたべさせるのか、粉状に砕いてミモザとして全体に散らすのか、ポーチドエッグにして主役級の役割を持たせるのか、変化球で温泉卵として液体状の卵白とトロリとした卵黄のテクスチャーを求めるのか、だとするとそれは何故なのか?

卵を載せることで全体の塩味は薄まる代わりに卵黄のコクとタンパク質のボリュームが出るけれど、ヴィネグレットを変える必要もあるだろうし、そもそもそうする事の意味合いは一体なんなのだ。

卵で薄まる塩味をチーズで補いつつ、卵とチーズを繋ぐ葉っぱの役割を殺さないソースとはどんなものだろう。

酢は生で入れるのか、少し火を入れて酸味を飛ばした方が良いのか、レモン汁の方がいいのか?

肉のテリーヌ作るなら、皿の上にテリーヌ1枚だけで完璧に料理として完結しなければテリーヌではない。

 

何を作るにしても、ウチのスタッフにはこういうことを毎回毎回執拗に問います。

問われても答えられないような浅い要素は容赦なく排除していきます。

 

意味のあるモノを足し算するのがフランス料理でありながらも余計なパーツを排除した機能美とも言える味わいこそが美しい。

そして美しい料理は旨い。

 

逆にどうでもいいモノを付け加えたくなるのが初心者的発想。

複雑になればなるほど本質が見えにくくなり、ゴマカシがしやすいですから。

でも、それは素材を活かすことにはならず、ただの料理人のマスターベーション。

 

思想や思考の無い料理は料理に非ず。

 

 

だいたい私は毎日イライラしてるし、いつもキッチンでは怒ってるし、満足したことなんてこの20年で1日たりとも有りません。

 

今日も怒ってます。