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2019年06月15日

梅でも漬けてみるか

梅干しはオカンから送ってもらうので、私は梅の砂糖漬けでもやりますか。

フランス料理に梅ってタブーみたいになってますけど、別に私はなんとも思わない。

言ってみれば、モロッコのレモンの塩漬けみたいなもんです。

夏には梅のグラニテを出せるかも。

 

今は亡き、オヤジと呼んでいた私の師匠の櫻井というオッサンはなんでも手作り、物事の本質を知るべしがモットーなので梅干しや梅シロップの手作りは当たり前、梅も公園とか山に拾いに行かされました。

時効だから告白しますけど、スモークサーモンに使う桜の木もノコギリ持たされて夜中の公園で切らされました。

それを乾燥させてペティナイフでチップに削るのです。出来上がったスモークサーモンの薫香たるや、ただのサクラチップとは別物です。未だに忘れられません。

他にも旨いトウモロコシは夜明け前に収穫したものでなくてはならないという事で夜中の3時から農家さんのお手伝いして規格外品を安く分けてもらって来いと言われ、

賄いでウドンを買うのはご法度の手打ちが当たり前

味噌も手前味噌で赤味噌と白味噌を常備し

キムチやカクテキは手作り上等

漬物の糠床は休みの日は家に持って帰らされて朝晩混ぜて管理しろ、糠が足りなければ玄米精米してこい。

 

 

そんなことばかりやらされてフランス料理なんてほとんど教えてもらわなかった私の小僧時代ですが、あの頃のオヤジの思想が今になって身に染みて理解出来ます。

 

料理という文化を心から愛した生粋の料理人で、ヲタクの域を超越した仙人みたいな人でした。

オヤジを超える思想を持った料理人に出会ったことが無いです。おそらくこの先もあのオヤジを超える人はいないのです。

私はオヤジを超えたくて、日々もがいてます。多分、鼻で笑われるでしょうけども。

私の料理を食べることなく死んでしまって何年も経つけれど、私は料理を作るとき、櫻井さんはこの料理をいい料理だ、旨い料理だな、と言ってくれるだろうか、といつも心のどこかで考えてます。

料理に関して人の意見や感想なんてどうでもいいと思ってますが、オヤジだけは別です。

そのオヤジの思想を自分なりに解釈し、さらに上流に遡って畑や山から料理を考えるという事に辿り着きました。

そういう意味で私のオヤジはまだ死んでない。

 

 

知識はスマホでなんでも手に入りますが、知恵とか工夫というのは自分で試行錯誤しないと身になりません。

生きた知恵をつければ余計な道具や買い物なんてしなくても何とかなります。

ウチの若い奴らには身になる知恵をつけてもらいたいです。

 

 

久しぶりに

リドボーのロッシーニやります。

 

この料理の構成要素には欠かせない食材が1つあります。

フォアグラやリドボーが適切に調理されるのは当たり前として、旨いジャガイモがなくては成り立たないのです。

 

牛ヒレのロッシーニは分かりやすいリッチな料理として巷に溢れておりますが、実はそのほとんどにおいて、ある大切な構成要素がすっ飛ばされてます。

ロッシーニとは牛ヒレとフォアグラを受け止めるブリオッシュのトーストが一番下になければロッシーニではない。

 

リドボーのロッシーニという料理は古典にはありません。とある地方のレストランで出されているスペシャリテですが、あまり知られて居ません。

鴨のフォアグラ、子牛の胸腺、ジャガイモ、トリュフという土と草原のテロワールがバッチリ効いた素晴らしい料理です。

 

 

シビレとして角切りの良く焼きで食べられる事の多くなったリドボーですが、フランス料理的に下ゆでとプレスで下処理した味わいは焼肉のそれとは全く違う事がお分かりになるはずです。

良し悪しではなく、アプローチの違いです。

 

ムニムニ系のフォアグラとリドボーをバシッとソテー、去年から土に埋めてでんぷん質がマックスのジャガイモソテーして添えます。

トリュフのソースはあくまでもまとめ役ですが、やはりこの三種の食材が合わさった時の絶妙なバランスはなかなか文字では伝わりません。

ブリオッシュやジャガイモという炭水化物を添えることで料理としての完成度が全く違ってくるのがロッシーニという料理なのです。