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2019年02月11日

お久しぶりです。

パグちゃん登場!

 

いやー美味かったなぁ

もう少しアンドゥイエットを極めたいと思います。

今回は直腸でしたが、次は大腸に豚の胃袋やら小腸やらを詰め込んでぶっといソーセージにしようかと思っています。

 

今回はソフトな仕上がりでしたね。

これはこれでクリーンな旨味があって良かったです。

芝浦の屠畜場は内臓類に対してはかなり慎重になっており、綺麗になるまで洗ってから出荷する事が決められているようです。

芝浦ではない屠畜場にお願いしてサッとだけ洗った、少し残渣物(要するにウンコの手前)が残ってるくらいの腸をもらえるように交渉します。

そうか、イノシシの内臓を丸ごと捨てずに貰ってくればいいのか。

それはそれで強烈だろうな。

 

売り切れそうです。

 

アンドゥイエット・ア・ラ・フィセル

断面図ですが、麻雀のイーピンみたいです。

イーピンは別名チンコの輪切りと言われており、チンコの輪切りというとRXボスに昔押し売りした馬の●ンコ料理に似てます。

馬のチ●コの断面も正にこんな感じで、長い時間コンフィにしましたが、柔らかくなることはなく、なんとも言えない弾力に自身の海綿体の痛みを感じたものです。

 

これはじっくり4時間煮込んでからパリッと焼いてます。

あと2本しかないので今日売り切れると思いますが、今週また更にやり方を変えて仕込んでみます。

 

ただ、今週はバレンタインデーウィークでアツアツのアベックが多いので、こんなの出したらボスのように喜んでもらえるどころかドン引きされるのがオチです。

対立する価値観

 

ーー

音楽は 、静寂の美に対し 、それへの対決から生まれるのであって 、音楽の創造とは 、静寂の美に対して 、音を素材とする新たな美を目指すことのなかにある

ーーマチネの終わりに

 

 

平野さんは私と同じ蒲郡の生まれなのだそうです。

だからって話ではないのですが、ふと装丁につられて手にとって読み始めると止まらず、すぐにキンドルで購入。

こんなにもページをめくらせるトルクを持った小説は久しぶりです。

 

ゴリゴリの恋愛小説ですのでネタバレするのもアレなので、細かいことは敢えて書きませんが、これから小説読もうと思ってる方は飛ばしてください。

ネタバレしないように、恋愛小説の形をとった一連の記述から読み取れる著書の問いについての考察を書きます。

男性作家特有の難しい文体や表現が多用されており、小説はとっつきにくいかもしれません。

 

 

石田ゆり子様と福山さん主演で映画化されるらしいので、恋愛ストーリーでキュンキュンしたい方はそっちの方が良いと思います。

 

 

 

天才ギタリストとジャーナリストの恋は抽象と写実の対比であり、音楽と静寂、生と死、男と女、過去と未来、自殺と出産、自由意志と運命論…

ところどころに散りばめられたあらゆる対比によって現代人が抱える課題や悩み、知らないうちに犯してしまう現代ならではの罪をあぶりだしていきます。

 

ーー

人は 、変えられるのは未来だけだと思い込んでる 。だけど 、実際は 、未来は常に過去を変えてるんです 。変えられるとも言えるし 、変わってしまうとも言える 。過去は 、それくらい繊細で 、感じやすいものじゃないですか

ーーマチネの終わりに

 

冒頭の2人の出会いのシーンに投げかけられるこの言葉がテーマとなっています。

 

主人公は2人とも40歳前後の大人です。

そう、僕ちゃんと同じくらいのオトナ。

喜びや悲しみ、裏切りや嫉妬、成功も挫折も一通りの様々な相対的な価値を積み重ねたという事です。

大枠から言い換えれば、好調も不調も乗り越えてもまだ今と未来を期待して孤独を恐れながら生きていると言えます。

 

 

ーー

孤独というのは 、つまりは 、この世界への影響力の欠如の意識だった 。自分の存在が 、他者に対して 、まったく影響を持ち得ないということ 。持ち得なかったと知ること 。 ─ ─同時代に対する水平的な影響力だけでなく 、次の時代への時間的な 、垂直的な影響力 。それが 、他者の存在のどこを探ってみても 、見出せないということ

ーーマチネの終わりに

 

 

 

 

洋子が経験したバグダッドでの強烈な死の恐怖と、蒔野が経験した日本の大震災の恐怖。

紛争による殺戮と天災による死、外的要因による事故死や病死と内的な自殺。

過去と現在、現在と未来は一見すると地続きのように考えがちですが、未来と過去を分断する現在という生の瞬間に人間が死を意識する事はほとんどありません。

平和にコーヒー飲みながらこの本を読んでいる瞬間も紛争地域では、魚を包丁でぶつ切りにしたような剥き出しの生と死がドタっと目の前に置かれ、それと同じ生と死が隣にあるような瞬間に立ち会えば、私たち平和の住人は生きていることが奇跡であるということを忘れてしまったかのように恐れ戦いてしまいます。

物事は二元論でなく、人それぞれに矛盾を抱え、後悔を携えて生き、それに反省するどころか同じことを繰り返してしまいます。

そうして酸いも甘いも噛み分けたアラフォー人間は思いもよらない瞬間に、自分には無い魅力や強烈な個性を持った異性と恋に落ちてあたふたとするのです。

現代的なツールであるスマホのメールやスカイプの通話などによって世界中とリアルタイムで繋がることができた反面、不可能だった物理的距離間もなかったかのように繋げてしまうことによって、それまでは存在しなかった非人間的な機械による行き違いや機械を介することによる心理的ストレスなどの現代病が蔓延しています。

 

 

 

ーー

恋の効能は 、人を謙虚にさせることだった 。年齢とともに人が恋愛から遠ざかってしまうのは 、愛したいという情熱の枯渇より 、愛されるために自分に何が欠けているのかという 、十代の頃ならば誰もが知っているあの澄んだ自意識の煩悶を鈍化させてしまうからである

美しくないから 、快活でないから 、自分は愛されないのだという孤独を 、仕事や趣味といった取柄は 、そんなことはないと簡単に慰めてしまう 。そうして人は 、ただ 、あの人に愛されるために美しくありたい 、快活でありたいと切々と夢見ることを忘れてしまう 。しかし 、あの人に値する存在でありたいと願わないとするなら 、恋とは一体 、何だろうか ?

ーーマチネの終わりに

恋をするということの本質は変わらないはずなのに、現代的なプロセスのちょっとした行き違いによって2人の運命は全く意図しない破滅的な方向に進み始めます。

嘘と真実、善と悪の隙間をふわふわと行き来しながらも時間が過ぎ、葛藤しながらも望まない環境は出来上がっていきます。

 

 

ーー

運命とは 、幸福であろうと 、不幸であろうと 、 「なぜか ? 」と問われるべき何かである 。そして 、答えのわからぬ当人は 、いずれにせよ 、自分がそれに値するからなのだろうかと考えぬわけにはいかなかった

「自由意志というのは 、未来に対してはなくてはならない希望だ 。自分には 、何かが出来るはずだと 、人間は信じる必要がある 。そうだね ?しかし洋子 、だからこそ 、過去に対しては悔恨となる 。何か出来たはずではなかったか 、と 。運命論の方が 、慰めになることもある 。

ーーマチネの終わりに

 

若い人は誰しもが自分の物語の主人公を演じたいと思うけれど、それがどうやら私は主役ではなく脇役になるべきではないか、その方が私らしいのではないか?と悶々とし始める年代でもあるのが40代です。

名脇役として主役である何か、例えば子供であったり、仕事のパートナーだったり、尊敬する存在や育てるべき人間のために我が身を捧げる人生を選び取る事で納得し、後悔しない人生もあるのではないか。

過去は変えられないが、ふとしたきっかけで過去は簡単に上書き保存されてしまいます。

これから何のために生きるのかによって、今までの人生の意味合いが変わってくると感じる世代はそれを願い、実現させようともがく年代なのです。

後悔する人生とは決断できなかった人生であり 、後悔しない人生とは決断できた人生のことです。重要なのは決断できたかどうか 、自分の葛藤に主体的に決着をつけられたかどうかであり 、どのような結果がおとずれるかはさして本質的ではないとさえいえます。だとすると決断すべきではないのでしょうか。

 

あらゆる物事に対する鮮やかな二元論的コントラストによって、不惑という迷える世代の心情を極上の恋愛小説に落とし込んだ名作です。