2019年01月12日
チラ見せ
チラリズム
なんと甘美な響きだろう。
日本人のチラリズムに対する意識は世界的に見ても独特の世界観である。
いや、日本男児的なフェティシズムなのかもしれない。
パリのレストランでは、夏になればほとんど裸みたいな格好で食事している若いおねーちゃんもあるし、そもそもカフェのサービスのオネーサンもビーチク見えても全然気にしないくらい胸元開いたコスチュームでサービスをしているし、ニースから車で15分くらい行ったビーチにはビーチク丸出しで寝込んでいるトドみたいなオバさんがウジャウジャいる。
こういう所に高尚なチラリズムの哲学はなく、モロ見せ、もはやモロダシズムである。
日本人は元来、着物のウナジや裾から覗くふくらはぎにエロスを感じて来たらしいですね。
素晴らしい価値観。
アレックス・カーには、是非ともこの辺りも書いて頂きたい。
現代においての哲学的チラリズムはある特定の部位や具の出具合だけでなく、あらゆる恥部に適用され、綺麗なおねーさんの綺麗な鼻からチョロリと伸びる綺麗な一本の鼻毛だったり、口元に残ったケチャップだったり、耳元に残る後れ毛と多岐にわたる油断の痕跡なのです。
嫌いじゃないです、そういうところ。
むしろ大好き。
このテーマについて本が一冊書けるくらい、私はチラリズム原理主義者なのである。
原稿が上がってきました。
フランス料理に興味がなければ全くもってピンと来ない内容の本です。
しかし、私にとってはこれまでの私の歴史であり、試行錯誤の結果であり、失敗の痕跡であり、言うなれば私の恥部、例えるなら黒光りする海綿体を惜しげもなく
どうですか!
こんなに大人になりましたよ!
と、モロ出しした作品なのです。
ページ数は現段階で233。
これにキモである哲学の話が入るので250ページ超えは確実、300ページに迫る勢い。
デジタル全盛のこの時代にこのボリュームで紙の本で出せるという奇跡に感謝。