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2018年09月09日

原稿の推敲中

フランス料理本の原稿を、読み返して読み返して、書いては消し、消しては書き、自己嫌悪し、自尊心を傷つけ、鬱になり、いっそ全部消えてしまえばいい、そして東芝にクレームを入れてやろう、などと考えても一向に筆は進まず、石田ゆり子と広末涼子の画像をオカズに爪を切ったり、眉毛を揃えたり、ヒゲを剃ったり、デスクの掃除をしたり、床にワックス掛けたり、溜まったメールを返信したりしていると1日が終わっていて、狼狽して、口の臭い犬に慰めてもらって寝る、というここ最近です。

 

 

人様に読んでいただけると言葉の羅列とはなにか?

お金を払って買っていただくに値する文章とは何か?

 

この20年、料理しかやってこなかった私、逆に言えば、20年も料理やってきた人間だからこそ絞り出される言葉ってのがあるはずなんですけどね。

いざ、各料理に対する哲学などを書こうと思っても、適当な言葉が出てきません。

書いても書いても、面白くないんです。

 

は?

そんな事、知ってるわい。

馬鹿にしとんのか。

って、読者に怒られそう。

 

かといって、説明がなければ意味不明な料理なんて料理ではないのです。

説明されれば旨く感じる料理って変でしょ?

ライオンはライオンという名前だから初めてそれがライオンだと認識出来ますが、ライオンという名前を知らないウチのガキは、ライオンの事をガオーと、象のことはパオーン、馬のことはネイネイ、犬はワンワンと呼んでました。

料理に説明や名前なんて本来必要なく、

旨いか不味いか、自分に合うか合わないか、という極めて主観的で抽象的で良いものなのです。

しかしながら、私の本である限りは私の言葉が介在しなくてはならず、

なるべく説明ではなく、私なりの勝手な主観で哲学やこだわりを言葉にして入れたいのですが、これがなかなか難しいのです。