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2018年05月13日

リゾットって

理想的な食事だよなぁ。

 

ウチのガキも毎朝リゾットとは違いますが、雑炊的な朝ごはんを丼一杯食ってます。

 

リゾットは、何入れても美味しいし、肉魚介野菜に乳製品、場合によってはカルボナーラみたいに卵入れても美味しいでしょう。

 

もっとリゾットは見直されてもいいと思いますし、バランスの良い完全食と言って良いような気がします。

 

山に持って行くにも良いですね。

ちょっと高等技術系のテリーヌ

テリーヌは豚の赤身と卵、レバーなどのタンパク質をペースト状にして加熱する事で固めるというのが基本です。

ソーセージもそうですよね。

あ、無添加の場合ですよ。

凝固剤入れればタンパク質少なくして水多くしてもてもかたまりますし、乳化剤入れれば混ざり合わないはずの割合でも水と油が簡単に乳化しますからね。

 

その辺はすっ飛ばして、ちゃんとやる場合の話です。

 

必ずしも肉と油と水分の割合を守らずともテリーヌやソーセージを固める方法はあります。

でも、ちと難しいためほとんど最近ではやられません。

逆に言うと、配合割合に縛られず、乳化を意識せずに作る場合もあるのですよ。

極論ファルスほぼ無し、ガルニチユールオンリーでもいいです。

 

この先はプロ向けの話になりますんで、この辺でやめときます。

 

ちょいと手を加えると、今までにない配合であたらしい味わいの肉のテリーヌが出来ます。

 

火曜日作りますんで、木曜日には出せるかとおもいます。

 

この作り方はあまりにも複雑で難しいのでシャルキュトリー 本に載せてません。

 

ちょっと面白いと思いますよ。

ご期待下さい。

 

悲劇

先日ローラーしようと思い、クルクルしたら

バキッ!

むむむ!!

嫌な音と共に小さな部品が転がりました。

なんと!

チェーンステイに装着されたdi2のバッテリーを充電しているのを忘れてペダルを回してしまい、バッテリー装着用のツマミ部分を破壊…

 

ああ、なんて馬鹿なのだろう。

 

こんなヌルい感じでは今年も完走出来ない…

もうトライアスロンなんて無理…

ダメな僕ちゃん…

 

 

言い訳ですが、去年よりも圧倒的に練習出来てません。

 

明らかにトライアスロン出場が毎年上半期の僕ちゃんのストレスになっている気がする。

 

だいたいこの時期はソワソワして落ち着かず、昨日もそうですが、よく寝られないのです。

 

練習できていない事にイライラするんです。

たとえ練習しても情けない現状に狼狽し、落胆し、結局やってもやらなくてもルサンチマン野郎なのですよ。

肉体的にも精神的にも仕事的にもロングのトライアスロンというのは相当な負荷が掛かります。

 

完走できず、足を洗う時の言い訳として…

ネオ・クラシックブック撮影

毎月恒例となった私の料理書の撮影が今週あります。

勝手にネオ・クラシックブックと名付けました。

今回のテーマは野菜と果物。

すでにどちらも専門書出してまして、さてさてどれにしようか、ってな感じでメニューを考えてます。

 

これだけ本出していると、我がことながら自分の料理もかなりパターン化しているな、というのがありありと分かります。

 

しかしながら、長いこと毎日料理を作り続けていると、年々無駄な部分が削ぎ落とされているのだけはわかります。それが進化というのか要領を得たというのか、少なくない変化している部分です。

 

昔からフランス料理ってのは足し算カルチャーだと思ってましたし、今もそう思っています。

例えるならば、なるべく少ない筆運びとタッチで仕上げる水彩画や水墨画は和食やイタリア料理で、フランス料理とは色を塗り重ねていく油彩画である、と。

 

しかし、最近はニュアンスが変わりまして、これは彫刻に似たプロセスではないか、と感じるのです。

 

目指す形へのアプローチとして、塗り重ねるのではなく、削り出していく作業に近いと。

 

これ以上削れないところまできたら、ディテールを磨いていくのです。

 

バッチリ焼けた肉、その肉から出た筋や骨も無駄にせず丁寧に引かれたフォンから作られるソース、そして生産者の想いが詰まった野菜の付け合わせ。

 

さて、これ以上に何が必要だろうか。

 

完璧とは何も引けない状態です。

 

この考えに到達するまでに20年もの歳月が必要でした。

 

 

まだまだ修行はこれからですわ。

母の日ですね。

バレンタインやクリスマスや母の日や父の日なんて、広告業界の陰謀だ!

 

いやいや、その通りですけどね。

 

まあまあ、そりゃそうなんですけど、面と向かってありがとうとか感謝の気持ち伝える機会があることは悪いことではないと思うのですよ。

 

私は直接オカンやオトンにありがとうなんて言ったことなんて記憶にないんです。

 

今更恥ずかしくてね。

 

 

みんなそうでしょ?

 

我が家はカミさんが母の日としてホームベーカリーが欲しいって言うんで、明日買いに行こうかと。

 

欲しいものって言っても、結局は息子のために美味しいパンを焼いてあげたいってのが母親心なんでしょうね。

 

 

食べることってのは、日々の生活の中でとても大切な時間であり場所でありコミュニケーションであるのだと思うのですよ。

 

何を誰とどこで何を話しながら食べるのか、足りていると大したことではないような事ですが、何かが抜け落ちてしまう事に気づいた時、その大切さが分かるのも食事を通してのパターンが多い気がします。

 

 

時としてキラキラした思い出と共に食べるあの料理。

逆にそれを食べて苦い瞬間をふと思い出すあの料理。

 

人生の悲喜交々、そして母の愛情は食卓に詰まっているような気がした今年の母の日。

 

私のオカンは母の日っていうより、どちらかというと敬老の日に軸足シフトして呼び名もババアとか婆さんという芸名に変わってますが、私にとってはオカンはオカンです。

オカン、いつもありがとう。